「六条御息所の彳つ花野」の批評
回答者 知世
花野の句にコメントありがとうございます。
どこかで読んだのですが、「俳句は読者に気持ちよく仕事をさせなければいけない」のだそうです。
つまり想像の余地がなきゃだめということなんだと思いますが、私は必ずしもそれが「綺麗」とか結論の部分じゃなくても良いと思うんですよね。
「満月きれい」で「だよね」ってなるのはダメですけど「満月こわい」で「何で?」って、そこを想像させるのはアリなんじゃないかな〜と。
まあ何かの賞とか句会とかだとつっこまれるのかと思いますが、試しに「おそろし」使われてる句調べてみたら結構面白い句が多いんですよ。
でも今回の私のは「おそろし」が独りよがりになってしまってダメでしたね。
ご提案いただいた句の方が良かったです。
六条御息所、源氏物語の中では一番好きです。
何となく嫉妬深い捨てられメンヘラ妖怪おばさんみたいなイメージになってますが、抑えられない嫉妬心に苦しみ慄いて自ら身を引くような人なんですよね…全部光源氏が悪い。
狂女烈女生霊人外女性は沢山いますが、花野に迷うのにこんなに似合う人もいないかもですね。
「彳つ」の表記も面白く思いました。
字数節約するなら「御息所」表記でもギリギリ伝わる気もしますが。
点数: 1
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負乗さんの「うつくしきものの降り来る花野かな」。「うつくしきもの」とは何ぞや、から一句にしてみました。
「降り来る」(おりくる)「うつくしき」(文字通りに“美しい”)「もの」(人ではない)として、秋の花咲き乱れる野辺に似つかわしい有名どころはこの方だろうと。
しかし、この方、名前に音数が多すぎて、何もさせられない。とりあえず立たせて、漢字表記を「彳つ」に変える悪あがき(読みは「たつ」。「たたずむ」という意味の漢字なので、立ったままで動きがない状態)。
“華やかさのなかの寂しさ”といった情が本意にある季語とはいえ、幻想・奇想に寄り過ぎよなあ。少しは、現実的な景としても詠まなければいけないかなあ、とも思いつつ。