「秒針の裏拍をゆく蛞蝓」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
3句目。俳句の形としてしっくりくる句が来ました。
まあ、形とかを考えずに、意味を超えて、という風に詠まれているのだとは思います。しかし、私としては、私の知る俳句のセオリーで句に対して感想を言うことになるので、それがたごさんにとって意味があることなのか、俳句の型としてはこう思ったということに意味があるのか。そもそも意味なんか求めないイズムなのか。そこがみなが感想を置きづらいところではあるでしょうね。
とはいえ、思ったことは書きたい。
今回は中七が切れている
上五中七と季語蛞蝓の取り合わせとして見ました(意図して取り合わせてるというより、言葉の響きやバランスなどで合わせている?)
作句者?我が秒針の裏拍をゆく。世の中の時の流れとは違う、もう一つの別の時間空間を生きる。そして、ゆっくり這うように生きる蛞蝓。それらが響くような句。
人の死やいま光り出す蛞蝓/小林康治
なめくじり賽の河原へ二三段/山口都茂女
蛞蝓にはいろいろな力があるな、と思いつつ。秒針の裏拍にそこまでの想像の補完が求められているのか、そこは悩ましいなあ。という印象です。鑑賞の力が足りないのでしょうか?ルールは無用、感じてくれ、となると、良いとか悪いとかは、「なんかこの17音、気持ちいい、美しい」というような感想となればいいのかと悩ましいですね(*'▽')
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びょうしんの うらはくをゆく なめくじら。
投句に添えて、恐縮ですが、私自身の紹介を…
・独学、ともいえないような我流で詠んでおります。いわゆる、指南本を読んだり、教室に参加したりと言う経験はありません。
・句意の説明が苦手です。十七音に収める意味がなくなる気がしています。十七音で伝わらない…あるいは、想像による補完すら困難であるとしたら、私にとってそれは拙作ということです。
・摂津幸彦氏、尾崎放哉氏が好きです。一方で、虚子翁への憧憬も。
・いただいた批評、提案句は全てありがたく拝読しております。お礼にというのではなく、いずれは皆様の作品へ、コメントも寄せられたらと思っております。