俳句添削道場(投句と批評)

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食はぬ子を叱りつけたる秋黴雨

作者 はや  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

子どもがちゃんとご飯を食べない、それだけのことに何故こんなに心が乱されるのでしょう。いつもなら「仕方ないなー子どもだし」と流せるところが、どうにも許せなくなる。うんそうだ、この長雨のせいだな、と雨に責任転嫁してなんとかやり過ごす…という日のことを詠みました。
叱りつけたる?叱りつけたり?秋黴雨を修飾した方がいいのか、切った方がいいのか。雨のせいにしているので修飾してみたのですが、これでいいのかどうか…。

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「食はぬ子を叱りつけたる秋黴雨」の批評

回答者 なおじい

こんにちは。はや様、いつもお世話になってます。拙句「菊供ふ」に温かいコメント有難うございました。義母も草葉の陰で喜んでいると思います。

御句、毎回お子さんへの愛情が感じられる秀句が続いていますね。こういう情景も私は経験がありますよ。私が子どもの頃は、まだ戦後の匂いがしていてそんなに裕福でもなかったので、食事は楽しみというか生存競争。がっついて食べて、「もっとゆっくり食べなさい」とか「もういい加減にしなさい」と言われていたような気がします。でも覚えているくらいだから小学生の頃ですね。
もっと小さい頃はわかりません。いまのお子さんは(私も小さい頃はそうだったかも)、なかなか思うように食べてくれませんよね。
そんな時に叱る感情が生まれるは、「せっかく作ったのに」「たくさん食べて大きくなって欲しいのに」「私の頃はこんな贅沢なもの食べられなかったのに」「早く食事を済ませて次のことがしたいのに」「この前、お義母さんにしつけができてないとか言われてしまったじゃない」…とか、色々な感情が絡み合ってますよね。わかりますよ。

さてここから御句のコメントに入りますが、全く自己流の感想なので、その旨ご了解のうえでお聞きください。

私の提案句です:
・食べぬ子を叱りつけた日秋黴雨
まず、「食わぬ子」を「食べぬ子」に言い換えたいです。俳句では「食ふ」とか「食む」とかをよく使いますが、「小さい子になんとか食べさせようとしている情景および母親の心情」を表すのに、「食わぬ」より「食べぬ」のほうが相応しいと思いました。「なかなか食べてくれないの。どうしよう」というお母さんの声が聞こえてくる気がしました。「食わぬ子」だと、「なかなか食わねえんだ、こいつ。どないしたろ」と、「叱りつける」より「どつき倒す」が合うような(関西の方、ごめんなさい)。
次に、「叱りつけたる」を「叱りつけた日」にさせてください。なぜかというと、いつもはそんな叱りつけたりしないのに、この日だけはなぜか、という意味を加えるためです。
最後に、季語の「秋黴雨」ですが、本句にピッタリだと思います。コメントでは、秋の長雨のせいにした、とかありますが、それは置いておいて、本来秋という季節は「食欲の秋」というように、空高く晴れ渡って、誰でもお腹が空いてたくさん食べたくなるのですよ。
しかし9月に入ってから長雨が続いて、今一つ気分が晴れない。これはお子さんだって同じことですよ。

でも、そんなぐずぐずした状態(食べないことと天気)も、いつまでも続くものではない。そのうち雲が切れてスカーンとした青空が広がり、それと同時にお子さんもパクパクごはんを食べてくれるようになりますよ。「ちょっと、もういい加減にしなさい!」と言いたくなるくらいにね!

句の評価:
★★★★★

点数: 4

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食わぬ子を𠮟りし朝や鳥渡る

回答者 げばげば

句の評価:
★★★★★

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

トルコ行進曲、よかったです(*'▽')トルコ行進曲ですら、身にしみてしまうというのがいいですねー。ありがとうございます(*'▽')

御句、𠮟りつけてしまう、、いやだけど言わないといけないし、、というときってありますよね。もやもやもや。この長雨のせいかも。わかりますー(*'▽')

自身のコメントにもありますが、秋黴雨だから叱ったという因果関係が季語と中七にうまれてきている感じがして、結果近すぎという印象があります。このままいくとしても中七は𠮟りつけたりと切った方がいいかもしれませんし、季語が何か別のものである方がいいかもしれません。何がいいでしょうね。月ですかねー。

食はぬ子を叱りつけたり降り月
食はぬ子を叱りつけたる夕月夜

今回の兼題はどうだろう。

点数: 3

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「食はぬ子を叱りつけたる秋黴雨」の批評

回答者 卓鐘

句の評価:
★★★★★

・切った場合の効果について(僕の感想)
[切らない場合(本句)]
一つの光景になります。秋の雨が続く中、子供を叱り付けている。もしくは、秋の雨が子供を叱っていると言う比喩にも見えます。
[切った場合(叱り付けたり)]
カットが分かれます。叱り付けた。外を見ると秋の雨が降り続いている。

なので、句意としては後者の方が意図には合うかと。ただ、秋の雨はそこはかとない憂いのようなしみじみとした感情になるので、そのせいでイライラしたってとことはそぐわない気がします。怒ってしまった自分をなんだか後悔しているようなそんな感情が伝わります。

点数: 2

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