「天の川だいだらばうの一跨ぎ」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
「バナジウム」の句のコメントありがとうございます。
「ソーダ水」を避けた理由は、季語「ソーダ水」は「クリームソーダ」などに使われる甘い炭酸飲料のことで、「バナジウム」に結び付きにくい、と判断したためです。
音数を気にしなければ「ミネラルウォーター」にしたかったところで。
受け手が「ソーダ水」=「(無味の)炭酸水」となるのであれば置き換え可能で、それ以上のこだわりはありません。
御句、「天の川」とくれば「天・空」「光・星」「宇宙・歴史」「川・流れ」「暗い地上」を類想するところを、別のものへ持って行った点は評価されてしかるべき句ですね。
対比にたいして不要な説明がないところも良いと思います。
地上に光が少なかったころの民衆は、闇に対してさまざまな想いを巡らせていたのであろう、という想像が膨らみます。
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天の川の実景を見たことがないので、Webに転がっている写真を何枚か見ました。本当にこのような空を予備知識なしで目の前にしたら、美しいとかなんとかと思うより先に恐怖・畏怖を覚えるのではないか、という第一印象でした。
まず、黒い。何はともあれ、黒い。写真なので、光が見えない(星々は白い点の集まりになってしまう)ことが多分に影響しているとは思うのですが、暗黒星雲の黒々とした部分がまだらに繋がったものが地平から立ち上がり(写真の視界はここで切れて終り)、頭上を越えて反対側の地平までこれが延々とある様を思うと、とてつもなく大きな化け物がそこにある、というイメージを持ちました。
(「天の川」を実際に目にした人が羨ましい。光としてある天の川を見たとき、この黒さがどう見えるのか気になります)
そこで、とてつもなく大きな化け物としてダイダラボッチ、中七にあった呼び方でダイダラボウの姿という比喩としてみました。