「とりどりの食べあと残す西瓜かな」の批評
回答者 74
こんにちは。コメントありがとうございます。
卓鐘さんに度々指摘されてるのにどうしても俳句の器から溢れるテーマにしがちですね。反省です。「かなかなのかなかな」と「ソリチュード」を取り合わせたいなぁから作句したのがそもそもという…orz
なんかいいなぁと思ってたのはリフレイン効果だったんですね。工夫を詰めたらうるさい、気を付けます!
御句拝読しました。
西瓜を食べたあとの皮に注目して、食べ方の違いがあることをとりどりで表現しているのが面白いですね。
実家では一人半玉など馬鹿げた量で食べたりしたこともありましたが、たぶん三角にきちんと切った西瓜ですよね。食べ終わった西瓜の皮が並んだり食べカス入れに放られてたりしてるのが想像できます。
皆さんのコメントにあるように食べ終えた皮とした方がいいなと感じます。あとこの状況をかなで詠嘆するものかな?と感じました。
とりどりの皮を残して西瓜食う
うーん、私が考えると微妙さしかないですね…とりどりのから始まるのが良かったのですが、そこから食べ終えた皮などの描写をして西瓜で〆る技量がまだまだのようです。
点数: 1
添削のお礼として、74さんの俳句の感想を書いてください >>
動植物季語への苦手意思がなかなか抜けません。
西瓜というと妊婦、その存在感溢れる姿この二つから発想がはなれられず。
↓過去作った句
マタニティーブルーの夜や西瓜食ふ
大罪の獄舎の如き大西瓜