時として浦島になる海水浴
回答者 なお
こんにちは。負乗様、いつもお世話になってます。
御句、私は強く共感します。あんな気持ちになるのは私だけかと思っていたら、他にもいたんだという安堵感、それを俳句に詠もうとする意外感。でもわかってもらえたら嬉しいですね。
ご自身のコメントにあるように、浜辺で寝てしまって、目が覚めたら違うところにいたような、あるいは波打ち際で遊んでいる子をずっと見守っていたのに、一瞬ビキニの女性に目が行ってしまった。すぐに子どもに視線を戻し、その間わずか数秒。でももはやこどもの姿はなく、慌てる。さらに或いは、頑張って沖へ泳いでいくと、ある深さから、何も聞こえなくなる。ゴムボートや浮き輪に捕まって、ユラユラ漂っていて、さあ戻ろうとすると、同じ浜に戻れない…。
これらの経験を、提案句に盛り込もうとしましたが、徒労に終わりました。でも「浦島」と入れたことにより少しは理解していただけるかもと。
私は、このような現象が起きるのは、海や山には、これまでに亡くなった方々の霊が多数いらして、その方々が寂しがって自分たちの世界へ引き込もうとなさるからではないかと思いました。
もちろんこれは変な意味ではありません。私たちは、海や山には十分な敬意を示さなくてはいけないなと、この句からあらためて思いました。
点数: 1
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
海水浴で、浜辺に寝そべりすると、あるいは、海で泳いで、潜って、浜に上がると、時空が変わったような感じがします。
もっと、即物で表現したいのですが々