「睡蓮や今は閉ざされモネの家」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつもコメントありがとうございます!
ダイソーの句、コメントありがとうございました!
たしかに、固有名詞はいかせてないのかもですね。しかも季語すら生きてないとなると、イマイチな句になりますよね。
「百均のタオルで拭う玉の汗」くらいから始まってるんですけど、こうなれば季語は立ちますし、固有名詞もやめて、破調もなくして。でも、うーん、おもしろみがないなあとそこから推考していった形です。今見てみると、発見の驚きがそもそも弱かったのです、きっと。
御句、今回は少しいつもとは違うタッチではありませんか。完全なる描写の徹底という中で、今回は少し趣向がちがうような。こういうタッチも大好きです。
最初は花博のこととは思わず、モネの家の前にも、いまだに睡蓮は咲き続けているという悠久と人の世のはかなさを感じました。「夏草やつはものどもが夢のあと」芭蕉のような。そこで、久田さんの今まで見せていただいた雰囲気と違うなと思いましたが、実景なんですね。浜名湖のモネの庭ですか?私も行ってみたいなと思っていました。
ゴッホのひまわりが来たり、モネの睡蓮が来たり、画家たちが切り取る映像というのもとても詩的ですね(*'▽')
点数: 0
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
花博の跡地に。