「計画を総て捨てたる夏旅路」の批評
回答者 ダック
げばげば様
こんばんは。「虹をみる・・」にコメントありがとうございました。これはイサクさまのアドバイスで少し見直してみる事としました。
旅の途中で計画を捨ててしまう。何があったのかと考えてしまいます。読んだ人それぞれの解釈があってよいと思います。(俳句としてよいかどうかはわかりませんが。)
点数: 1
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作者 げばげば 投稿日
回答者 ダック
げばげば様
こんばんは。「虹をみる・・」にコメントありがとうございました。これはイサクさまのアドバイスで少し見直してみる事としました。
旅の途中で計画を捨ててしまう。何があったのかと考えてしまいます。読んだ人それぞれの解釈があってよいと思います。(俳句としてよいかどうかはわかりませんが。)
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回答者 卓鐘
向日葵コメントありがとうございます。「あした」は元々、夜の明けた頃の意味で、そこから朝、明日と意味が広がっていき、最後、朝はあさと読むようになったという言葉の成り立ちのようです。「あした」と読ませた場合も、「朝」「明日」どちらの意味なのかは文脈によって決まりますが、あの句はただの朝でしかありません。(二重の意味を持っているという読みはあまりしない方がいいかもしれません。)目の前の光景から心象風景を思うという読みはありですが、なかなかその読みが機能するのは詠むのと同じくらい難しい領域だなぁと痛感している今日この頃。あの句は、まずはただの光景として読んでいただけると幸いです。
御句、こちらは、具体的な映像がほぼない句となっています。そういう句が成功すると無茶苦茶かっこいいのですが、僕もよくやらかすんですが、成功しているとは言い難いかなと。どういうものが成功するかというのはまだまだ勉強中の身なので、適切に言語化できないのですが、印象としてどういうことかなんかよくわからないなぁというのが正直なところです。解釈をしようと思えば色々できるのですが、どう読んでもなんかピンとくるものがない。
プレバト 見てても、投句サイトのコメント見でもよく出てくる典型の言葉として「読者に任せる」というやーつ。読者に任せるという逃げ。一句の描写が適切にできた上で、その周辺を読者に想像させるっていうのはいいのですが、全体的に映像のない表現で、それを委ねられても。。。まずは書けよとなっちゃう。
繰り返しになりますが、映像のない名句ももちろんあります。が、難しい超スーパーウルトラ技。絵でいうと、デッサンもできないのに、ピカソやダリのような抽象画を書こうとしてもがいていると言えばいいでしょうか(笑)そして、このコメントは自分への戒めでもあります。
※ 映像のない句、意味のよくわからん句がなぜ成功しているものもあるのか?この問いは今、色々と考えてますが、道のりは長そうです。
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回答者 イサク
こんばんは。
うーん。たしかに捉えどころのない句なのです・・・
卓鐘様が「映像のない句」について語っておられますが、本当に映像のない名句などあるのかな・・・という疑念はあります。探った範囲では出てこない。
ファンタジーな空想句にも映像はある。
もちろん心意気のみを書き連ねたものは俳句ではない、とは申しません。作句者が俳句といえば俳句です。
その文章が「俳句」である必要性の是非については、作句者が各自各々で判断すべきことではないか、とは思います。
さて御句、実景でないとしたら、全て比喩なのです・・・
さすがに全て比喩では、受け手は「お察しください」と言われている体になるので、もう察して忖度するか、あきらめて逃げ出すか、どっちかしかないのですよね。
正当に俳句として評価するなら、この句で作者の言いたい大事な要素は「捨てたこと」なのか「旅路」なのかわからないこと。
せめていずれかに絞って季語を考え直して構成を改めれば、伝わる俳句として作るのは可能なのではなかろうか?と考えます。
・計画を総て捨てたる夏の果
・計画を捨てたる旅や夏薊
・計画を捨てて真夏のバタフライ
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回答者 なおじい
こんにちは。げばげば様、いつもお世話になってます。
感想をお伝えする順番が後先になってしまいました。
御句、一読で、楽しい夏の旅行を計画していたが、コロナで?いやもっと他の理由かもしれないけれど、白紙になった、残念、もう夏も終わりだ、というような句かと思いました。私なりに共感し、さぞや残念だろうと。
提案句は、そうは言っても「夏旅路」か…。素直に「夏の旅」としたらどうだろうか?と思ってのものです。その後、ご自身のコメントや皆さんのコメントを読んで、「何やら難しい話なんだな…」と。
単純な提案句は取り下げようかとも思いましたが、これはこれで残しておこうとそのまま置かせていただきました。
なお、げばさん、私の旅行のこと尋ねてくださってありがとうございます。宣言下に不謹慎かもしれませんが、とても楽しかったです。
げばさんの足下にも及ばないが、私も最近俳句が面白いと思っているのですよ。その視点から、旅先の全てが今までと違って見えました。特に空の広さ、雲の大きさ、湖面を渡る風の爽やかさに感動しました。74さんのように旅シリーズは作れないですが、浮かんだものをいくつか書き留めてきましたのでこれからポロポロ出させていただこうかと。よろしくお願いします。
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回答者 知世
こんにちは。
行き当たりばったり旅行良いなあ、夏の旅っぽいな〜。
でも具体的な描写がなく、読者それぞれの想像や経験に委ねるのは俳句的にはダメなんですね。
それでもやはり予備知識なしの人間から見ると爽やかで素敵な句だと思います。
とりあえず海へ向かおう夏旅路
句意が全く変わっていますのでオマージュということに…。
何にも考えてないけど海行けば楽しいでしょ!という句でした。
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回答者 74
げばげばさんこんにちは。いつもコメントありがとうございます。
向日葵をじっくり見たこと無かったので、
うろ覚え知識を確かめたのと見た光景そのまま描写でちょっとぼやけてしまいましたね。知世さんのコメントのように枯れかけて頭を俯かせた向日葵を「垂るる」としました。反省ですね。
こちらの句は旅の途中だけど計画は全て放り投げて行こう!という、なんとも大胆な旅だなと思わせる内容と読みました。
しかし哲学の要素もあるような…とすると、イサクさんのコメントに一票です。旅か計画か。旅の方が大事…ですよね?
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回答者 卓鐘
具体的な映像を持たない名句の例挙げときます。基本的に、時効の季語以外は季語自体が映像を持つので、時効の季語を見ると色々と。
・おもしろや今年の春も旅の空 芭蕉 (辛うじて、空?)
・なだらかにひらけて春をたけなわに 宮津昭彦
・うべなふ死うべなひがたき死も二月 鷹羽狩行
・一日を捕らえよ二月逃げ易き 堀田幸嗣
・子に五月手が花になり鳥になり 深秋会
・此のあたり目にみゆるものは皆涼し 芭蕉
・ゆく道のまつすぐに秋近きかな 岡本 眸
・さびしさは秋向ふから来我姿 自悦
・ひえびえと闇のさだまる初秋かな 蛇笏
・子をもたばいくつなるべきとしのくれ 其角
・大年といふゆるさざる言葉かな
まぁ家の歳時記ざっと見てもいっぱい。もう少し具体的なものはあるけど全体的にふわっとしているものも入れるとほんとにたくさん。
これらを持ち出すまでもなく、虚子の名句「去年今年貫く棒の如きもの」も、棒は出てくるけど、映像としては明確に書かれてはない。(ただ、これは永遠に続く棒と、所々の何かを貫いて進んでいく如意棒的なものを想像はできるか。。)
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
8月1発目はこの句で今の気持ちを。
夏旅路という言葉は無いのかも。旅と捉えるか、旅以外と捉えるか。計画というのもいろいろあり。みなさんご意見よろしくお願いします。