「炎天の白球にかけ夢切符」の批評
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
「炎天」で詠みこんでいらっしいますね!私、炎天で一つも読めず、「日の盛り」を無理やり「炎天」にして失敗してしましました。多作が大切だとよく言われるので、頭が下がります!
さて、御句。どうしても、炎天と白球は類想感は出てしまいますが、炎天といえば高校野球を詠みたい気持ちもわかります!とにかくいつも感動してしまいます。その後「熱闘甲子園」まで見て、西浦達雄さんの曲をバックにハイライトが流れて泣いてしまします。(もしかしたらローカル番組かも)
さて、炎天と高校野球で詠むなら、高校球児などの具体的な光景によせていく方がいいのかもしれませんね。白球・夢切符より、丸坊主の真っ黒焼けの泥まみれの。それでも、誰かが詠んでいそうで難しい気はしますが、誰かが詠んでようと、自分が詠みたいものであれば、それでいいやんって思いますしね。
炎天下ベース清めるコーチかな
この間、ピースの又吉さんのYouTubeで、「こういう人は信頼できる人100人あげる」というコーナーの中、野球コーチの先生が、コーチラストになる方で、球場でノック練習を10分やった後、汚れたホームベースを素手でざざざって清めて、グラウンドに「ありがとうございました!」って頭を下げたのを見て、このコーチ信頼できるなって思ったって話をしてたんですよ。
私の中では、その方の句です。球児も甲子園をかけて白球を追うんですが、一方で、そのコーチが「ベースを清める」という行為に何か詩を感じたんですよね。
もちろん、コメントなしで句だけでは何も伝わらない提案句なので、ここにそっと置かせてください。炎天の白球も、どこを見るかの視点のチェンジで、まだまだ面白くなりそうです!
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高校球児を詠んだ句です。