「炎天のうぐいすなんの不思議ある」の批評
こんにちは。
いつも素敵なコメントありがとうございます!
意欲的に、そうですね。仕事をしていてもどこかで俳句
のタネを見回していると風流な心持になって、俳句三昧の生活ってのも楽しいです。技術的にはぜんぜん失敗もしますけど、心豊かになるというのがいいよねーって。
シャンプー台の句、コメントありがとうございます。解釈外してるなんてとんでもない、詠む側が詠みたいこと詠んだらいいと知世さんがいうように、詠まれた句はどのように解釈されても読者側の想像の自由ですから。小説を作者が意図していなかった想像で楽しむのと同じで。
むしろ、知世さんの解釈の方がおもろいやん、深いやんってことの方が多いですしね!
ちなみに、シャンプー台の句はほぼほぼ解釈あたりです。
ホラーの方じゃないですよ(笑)
一昨日美容院に行きまして。美容院行くときって髪の毛セットせずへたへたのままで日の盛りを行ったんですよ。
そして、シャンプーして爽快にへばりをとってもらって、見たら、私の髪が台に数本へたーとへばりついてて「日の盛り シャンプー台にへばりついてる髪の毛」という句を見たままを詠んでやろうとしてたんです。けどへばりついてるの3音をどうするか?推考してたときに、今日の髪の毛へばってたやん、私もへばってたやん、ちょっとよく出して「へばる」ってスパイスかけよと思った点と、兼題が炎天になったため、おー今日「炎天」やったやんということで投句前に、炎天にかえちゃうというところが、いろいろ誤読を招きましたけどね(笑)
しかし、知世さんの読みは、なんだろ、鑑賞側の醍醐味というか、今後もあたりはずれなんか気にせず楽しむ方がいいですよ。
ちなみに、御句。最近の知世さんの感じが出ましたね。季語
は歳時記
より実感。そうですよね、なんの不思議もないですよね。鶯はなぜ春、大根はなぜ冬、と決めたの?今もいきいきしているように感じたのにってね。
そういう意味では、めちゃくちゃおもしろい句ですね。心の声が出まくってるから。
「ざまあみろ」のときはあまり本当に向日葵やルサンチマンって心の底から出てる感じではなかったど(笑)
実際、もちろんどのようにも詠んで、詠む人も読む人も楽しんでいるわけだからそれはそのままで大好きです!その一方で、この気持ちを俳句のフィールドの中で表現するなら、どういう風に詠む?そもそも俳句のフィールドってどんなの?よし!「なんの不思議ある」と書かずにそれを想像させるにはどんな言葉選ぶ?っていうのを最近やってて、それがうまく行っても違う想像をされてもやっぱり面白いと思うわけです。そんなこと言って、私は添削
句が浮かびきれませんでしたがね。
知世さんの句風にたくさんの方が魅了されていると思いますし、私もその一人です。きっと俳句の17音からあふれる何かを頭の中にお持ちでしょうし知世さんの短歌や自由律もおもしろそうですが、その上で、ぜひまた魅力的な俳句も読ませてほしいと思ったりもします。長文になり失礼しました!
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
先日通勤途中にウグイスが鳴いていました。
「老鶯」という季語はあるものの、渓谷とかにいるんじゃないの?いくらなんでもこんな炎天下のベッドタウンで、セミとか鳴いてて…。
さすがにこれは俳句にできない、と思ったのですが人間の風流とか関係なく生きているウグイスに魅力を感じたのでお題に乗じて作ってみました。
勿論季跨がり?となるわけですが、季語ではなく生き物としてのウグイスを詠んだのだと強い気持ちで使います。