「燐寸するふと友の顔浮かぶ暮」の批評
回答者 なお
添削した俳句: 燐寸するふと友の顔浮かぶ暮
東野宗孝さん、こんにちは。
御句拝読しました。鍋の友ですか?東野さんはお友だち思いですね。その光景、わかります。
ただ、俳句としては、二、三点工夫できるところがあると思いました。
まず、「燐寸する」ですが、マッチはすらなければ何も始まらないので「する」のは当然、ということは、これは省くことができます。
次に、「ふと」ですが、俳句は大体、ふとした心の動きや発見を詠むものですから、これも省くことができます。
なにも、何でもかんでも省けばいいというものではないですが、省いても意味が通じるものは省いて、その分、読み手の理解を助ける、想像の枠を広げる言葉を入れた方がいいのではと思います。
最後に、「暮」を季語としてお使いかと思いますが、「暮」はこれだけでは季語になりません。「年の暮」にしたいです。
・年の暮燐寸に浮かぶ友の顔
こういうのでもいいかと思いました。
よろしくお願いします。
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