「足先は水の中なり浮寝鳥」の批評
めでかやさん、素敵なご感想いただき、ありがとうございます!
めでかやさんはまだ俳句を始めて間もないようですが、このサイトでのご活躍から、上達は間違いなく早いと感じています。益々のご傑作を楽しみにしています。
(因みに、もしご都合がよろしければ、めでかやさんのツイッターアカウントをお聞かせいただけませんか?)
それでは、めでかやさんの結論について少しコメントさせていただきたいと思います。
確かに、句風や句柄といった言葉は、他人を評価するときに使うのが普通で、自分の作風がどうのこうのと直接言うのは珍しいですね。では、句作を積み重ねながら、他人に自分のスタイルを感じさせるにはどうしたらいいのでしょうか。殆どの人が、いろんな句を詠みながら、自分に合ったスタイルを探すというアプローチを取っているのです。ただ、最初から自分の大まかな方向性さえ決めておかず、ひたすら「自在にやっていこう」と思っていますと、いつまでたっても本当に「自分のための作品」が育ちませんし、たまたまいいものが作れたとしても、俳句についての認識は停滞したままになってしまうのでしょう。
例えば、ある光景において、多くの人はそのシーンのあらゆる側面を描写しようとしますが、上級者であれば、ある特定のものだけを捉えたり、いろんなものを描写していても、作品全体として感情や表現は同じであったりすることがあるのですね。これは上級者の信念というか、習慣というか、似たようなものと考えていいと思うのです。とにかく、この感覚は他人には句風や句柄として見え、自分には個人的な描写傾向・好みとして見えます。これは、自分自身が常に意識することであり、他人だけが感じることではないと思います。そして、この道を進んでいきますと、次のレベルとしては、賞を取ったり、俳論を書いたり、選者になったり、ということになるのでしょうね。俳句初心者には句作の広さが大切ですが、いずれは深さに立ち帰ると思っています。
もちろん、こういうレベルに達するには努力だけでなく、天賦の詩才も必要であり、多くの人にとっては単なる理想に過ぎません。私たちは基本的な目標を決め、あとはマイペースでやっていけばいいと思うのです。
めでかやさんは、すでに自分なりのこだわりを持っているようなので、「昆虫や小動物をクローズアップするのが得意です」と気楽に言える日が来ますように。
先日、げばげばさんにも紹介したのですが、すいようさんや三枝ぐさんなどの、作品を見ただけで作者がわかるほど作風がはっきりしている方もいますので、機会があればぜひツイッターでチェックしてみてください。
以上、あくまで私見ですので、ご笑覧いただければ幸いです。こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。