俳句添削道場(投句と批評)
幸福来々さんのランク: 師匠41段 合計点: 240

幸福来々さんの俳句添削依頼

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幸福来々さんの添削

「ガラス戸に犯人の顔花の雨」の批評

添削した俳句: ガラス戸に犯人の顔花の雨

コメント失礼します。
ぱっと読んでみたときは「怖っ!」と思いました。

ぱっと読んだときの読みは、以下のとおりでした。
自分が関係する犯罪の犯人の顔が雨に濡れたガラス戸(私はすりガラスを想像しました)に浮かび上がったのが見えた。
「殺される!」と思うが、まわりは静かで雨音だけがが聞こえる。
不思議と季語『花の雨』にその犯人の殺意が宿ってる気がしましたね。
季語『花の雨』で作者の脳裏に「桜の季節だけど、もう見れないのか。。。」とよぎったのではないか?と考えたからです。

ですが、よくよく読むと以下の読み方ができるなと思います。

『ガラス戸』の人が『犯人』であるとわかっている。
言い切っているので、サスペンスの作品を見てて「怖っ!」と思う演出のときの静けさを『花の雨』に宿してるのではないか(思わず自分の家の窓もちらっと確認してしまうみたいなこともしちゃうみたいなことも想像しました)?
桜の季節だけど、雨降ってるから花見を諦めてサスペンス作品を見てます的な解釈も可能かなと感じました。

どちらの読みにせよ『ガラス戸』の『犯人の顔』と『花』の落差で緊張感を与えていると感じました。
さらに『の雨』と少し時候に軸足を置いたかつ、『ガラス戸』の見え方にも影響する季語の選択によって1フレーズとの距離感がいい感じになってるのではないでしょうか?

色々考えましたが、後者の読みはあまり面白くないので、私は前者の読みで楽しみました。

点数: 1

「行く春やアンドレギャニオン聴きながら」の批評

添削した俳句: 行く春やアンドレギャニオン聴きながら

よくわからない論調でよくわからない理論を振りまいて他人を不快にするのやめてください。
すぐに被害者面したり善人を繕うのもやめてください。
言ってること・やってること私とそんなに変わりません。
めいさんが持論を述べる際の無駄な枕詞をつける論調に私は辟易しています。

めいさんが今まで私に書いてきた全てのコメント見返してみてください。
ブレブレで論理破綻しまくってます。
感情的になるのは勝手ですが、そのような文章を送りつけてこないでください。
傷つきはしないものの結構ストレスです。
仮にも俳句という言葉を大事にしないといけない作品をつくる人の姿勢とも思えません。

詩に対する感動ではなく、指摘について私はずっと話してます。
知性と教養に憧れているのであればもっと勉強をしてください。
長い人生が知性と教養を裏付けるのではなく、行動が裏付けるのです。

自分の幸せは自分でしか定義できないのですから、めいさんに言われなくても個の幸せは個人が追求していくに決まっています。
やっと定義できた幸せがマイノリティだろうがマジョリティだろうが、諦めて大切にして生きていかなければならないのが人間です。

私はただ、毎回のように当たり屋みたいにテキトーなことを好き勝手言って来る輩から話しかけられてイライラするのが嫌なだけです。
なぜ私がめいさんをブロックしなければならないのですか?
私がブロックするのではなくめいさんがブロックすれば良い話です。
私をこのサイトから排除したいのはあなたなんだから。

今後のブロックするしないは任せますが、今後私へのコメントは控えてください。
コメントをすれば、お互い不快になるだけなんですから。

点数: 1

「うららかや100円玉のかがようて」の批評

添削した俳句: うららかや100円玉のかがようて

返信が不要であるなら、横槍を入れるのは覚悟もなく人様に意見を言いたい欲求に負けてコメントされたという認識をいたします。

何度も言っていますが指摘されたとして、なんでそういう考えになったのか、感じ方をしたのかがわからないのに、相手は具体的に何をすればいいのかがわからないとなるのは当たり前です。
それは相手にとってストレスしか与えません。

私がミスをしていたとして、私は今後同じミスを繰り返したくありません。
でも、原因・根拠がわからなければ、改善の余地もありません。

私は私の句が正しいと思い続けてるということが言いたいわけではなく、正しくないと人様に意見をいいたいのであれば、なぜ正しくないと思ったのかどうかの原因・根拠を示して改善の余地を与えよと言っているのです。
改善の余地がない指摘はただの文句です。
そもそも改善しないといけないかどうかも判断できません。

子どもという言葉でなにか指摘した気になるのもどうかと思います。
子どもであってはいけないは伝わってきますが、どういう意味で子どもという言葉を使ってるのかわからないので、「子どもが悪い存在だ」と思ってらっしゃる方なのかな?という解釈しますよ。

> ③>根拠や具体性の無い指摘をする。
> でも②は神様レベルの知識がないと、断定できないことなのではと思います。
> また、①と③を「意図的にしない」人はともかく、できない人を全否定するほどの人は、私は幸福来々様以外にはあまり知りません。
これもまたそうなのですが、私のどのコメントを読んでそう思ったのですか?
私がいつその方を全否定してるのですか?
それを示せと言ってるのにそれを書かないのなんでなんですかね?
神様しかそれってできないんですかね?
本当にこういう方理解できないです。

>>そもそも善意があったら何言ってもいいんですか?
>もちろん何言ってもいいなんてことはないと私も思います。
思ってないと思ってる方が、今まさに好き勝手言いに来てるじゃないですか。

>自分の俳句や信条を大事にするあまり、【人様のコメント】を雑に扱っているように感じています。
>「人様のコメントや、コメントを出した時の気持ちを雑に扱ってまで自由を掴み取りたい精神性」と周囲からは見えてしまうように感じます。
雑なコメントは不要だし、失礼です。
それなりの姿勢が必要で、それが根拠・原因を示すことだとしか言っていません。
たとえば、「この表現で、読みが誘導された気がした」とか主観でもいいです。

ご自身のコメントが上から目線だと評価されているみたいですが、どういう主義や主張でお話されているのかわかりませんので、そもそもどこから目線なのかもわかりません。
俳句だから言葉を大切にしなければいけないわけではなく、コメントだって大事な言葉で伝えたいことがあるなら丁寧である必要があるのです。

そもそも、私はイサクさんにも以前私の句は無視してくださいと申し上げました。
このコメントにも返信不要です。
今後どういう理由があっても私のところにコメント不要です。
私も今後もいたしません。
コメントしたくなったらブロックしてください。

点数: 1

「行く春やアンドレギャニオン聴きながら」の批評

添削した俳句: 行く春やアンドレギャニオン聴きながら

お久ぶりです。覚えてますよ。

3票入ってようが100票入ってようが、的外れは的外れです。
『狂う蝶』は春の季語『蝶』の傍題ですよ。
俳句は季語が主役であるということが前提です。
季語を疎かにして俳句を読む姿勢が全く理解できないので、議論するつもりありません。

で、仮に比喩だったとして本句の解釈はなんだったんですか?
「あの一輪」を百合だと思ったのならそれはそれで構いませんが、人様の句の意味を変える改作をされて、どうですか?と言われても、作者からしたらそのような俳句に何の価値も見いだせません。

点数: 1

「鳥の巣や嬰児の肌着窓に透け」の批評

添削した俳句: 鳥の巣や嬰児の肌着窓に透け

独楽爺さんのコメントは不要だと私は以前申し上げてます。
今後コメントしてこないでください。

「あの」と「その」の効果は遠称と中称の違いしかありません。
ご指摘のとおり仮に視線変えているとして、中距離ならいいけど、遠距離なら肩透かしという指摘全く意味がわかりません。

そもそも景は、一輪の花と狂う蝶しかなく視線を変えてなどいません。
また、狂う蝶は比喩ではなく『狂う蝶』で季語です。
『一輪だけ』という提案句ありますけど、『一輪』なら『だけ』に決まってるので、意味の重複でむしろ情報が減っていますので、何が改善されているのかがわかりません。

人様の作品にものを言いたいのであれば、俳句云々もそうですけど、日本語をもう少し勉強なさったほうが良いと思います。

点数: 4

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