俳句添削道場(投句と批評)
頓さんのランク: 師匠1165段 合計点: 3,614

頓さんの俳句添削依頼

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囀りやベンチを汚す缶ひとつ

回答数 : 14

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山風にはや散り初むる桜かな

回答数 : 5

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囀りやベンチにコロン缶ひとつ

回答数 : 4

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春昼やベンチに残るボトル缶

回答数 : 4

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うららかやアトム初めで今ジブリ

回答数 : 9

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頓さんの添削

「春光のなか春光の煌めけり」の批評

添削した俳句: 春光のなか春光の煌めけり

あらちゃんさん、今日は!頓です!
取り急ぎ、早速にて…。
御句拝読致しました。
偉そうなことを申し上げますが、下五の「煌めけり」の措辞は、あらちゃんさんにしては、安直な措辞だ、と感じました。
あくまでも、以下は、参考としての駄句です。
 《春光のなか春光の射抜く街》
春光の畳み掛けなので、下五をかなり強めの措辞にしましたが…。
以上、取り急ぎ、失礼仕りましたm(_ _)m。

点数: 1

「咲き初めて既に寂しや滝桜」の批評

添削した俳句: 咲き初めて既に寂しや滝桜

慈雨様、今日は!頓です!
早速、取り急ぎにて!
御句、拝読致しました。
偉そうなことを申し上げますが、釈迦に説法、ご容赦願います。
「既に」の措辞は、説明的です。
「寂しや」の措辞も、感想のように感じます。景で詠むべきかと思います。
あくまで、参考駄句です。
 《咲き初むる枝のしじまや滝桜》  
大木の滝桜…一本の枝に焦点を当てました。
また、咲き始めの凛とした静けさを詠みましたが…。
以上、取り急ぎ、失礼仕りましたm(_ _)m。

点数: 0

「沈丁花みな吾を見し吾を見し」の批評

添削した俳句: 沈丁花みな吾を見し吾を見し

あらちゃんさん、お早うございます!頓です!
遅ればせながら、取り急ぎの早速にて?…。
御句、「主観写生」?とのこと…。
御句「沈丁花」と言えば香りですが、敢えての「視線」かと思います。
あらちゃんさんらしい個性の光る、映像と心象風景を感じさせる独創的な作品、と鑑賞致しました。
「吾を見し」のリフレイン?が、説明的、若しくはくどい、と感じる方もいるかも知れませんが、それこそ、御句の真骨頂、真価かと私は思います!
「強迫神経症」?、何と?と思い、取り急ぎ、コメントした次第です!
無能力ですが、私も、あらちゃんさんに倣い、詠んでみました。
 《沈丁花みな吾を見をりみな白し》
「吾」→「あ」
やはり、イマイチですなぁ…。
勿論、御句、このままいただきます!
以上、失礼仕りましたm(_ _)m。

PS:このあらちゃんさんの作品の鑑賞等をもって、6月末まで、私の姿は消えるかなぁ…。
それはさて置き、3月10日の投句以来、めい様のお姿を拝見しておりませんなぁ…。
病態が悪くなっていなければ良いのですが…。

点数: 1

「店先の春セーターが今日は無い」の批評

添削した俳句: 店先の春セーターが今日は無い

慈雨様、お早うございます!頓です!
早速にて…。
御句、「散文/単なる報告/季語が目の前に無い(苦笑)。」との問題提起でしょうか?
口語俳句の特性として、読者によれば、どうしても、散文的・報告的に感じてしまうリスクがあることは、否定出来ないところ、かと私は思います。
鑑賞は、十人十色、千差万別ではありましょうが、私は、御句、散文的にも、報告的にも感じません。
偉そうなことを申し上げますが、御句は、日常的に稀?或いはままある?景を切り取った、出来た俳句として、私は鑑賞致しました。この点は、以上で止めます。
触れておきたいのは、特に、各位から諸々ご意見があり、議論となっている「季語」の問題であります。
「今目の前に無ければ季語とならない」との考えには、私は、賛同し兼ねます。
季語に当たる「春セーター」が「無い」と詠むことで、逆にその季節を強く意識させる、これは立派に「有季」として成立するのではないでしょうか?
「春セーターが無い」ことで、読者は、「昨日までの春の華やかさ」や「セーターがなくなったことで季節の移ろい」を感じるのではないか、と思うからです。
御句では、「春セーター」という措辞がある以上、例え目の前に季語が「物理的にあるかどうか」に関わらず、季語として機能しており、無季俳句にはならないと思います。
言わば、「不存在であることによる季語の強調」(私の勝手な造語ですが)とでも言うのでしょうか、かなり高度な技法と、私は鑑賞致しました。
私事で恐縮ですが、私が、かつて詠んだ駄句です。
 《山麓の絶えて久しや赤とんぼ》   
    2024年10月24日 /頓
この駄句に対しては、多くの方から、ご意見を頂きました。
この句に対する、イサク様の評価を引用させて頂きます。
「◆赤とんぼが目の前にいない ⇒この句は、赤とんぼの季節でなくても成立する ⇒季語として弱い。
『目の前にない季語』は『作者の頭の中にしかない』ということになりがちなので難しい。目の前にない季語を詠みつつ季語を生かす、というのは相当難易度が高い。「赤とんぼを見なくなった」 という感慨を詠むとして 「冬(晩秋)になったから(寒くなって)赤とんぼがいなくなった」のか 、「昔いた赤とんぼを近年は見なくなった」のか 、どちらか、明確にした方がよい。『受け手に任せる』などではなく。 受け手に任せるのは『句意』ではなく『想像の余地』の範囲にしたい。その上で受け手が句意を膨らませるのはありだ。
→ご提案句
《 赤とんぼ見ぬまま秋の過ぎゆけり》(今年は見ていないという句意)》」
以上、概略のご指摘とご提案句等であります。
従って、ご提案句では、「目の前に『赤とんぼ』という季語」は、ありません!
正に、先に申し上げた「不存在であることによる季語の強調」です!
御句は、この「不存在であることによる季語の強調」そのものではありませんか!
冗長、支離滅裂になりましたが、どうも気になったもので、朝参りを終えたのちに、只今、本コメントを急ぎ、認めた次第であります。
以上、取り急ぎで申し訳ございません、感想のみにて失礼仕りますm(_ _)m。

点数: 1

「胴吹きや一花灯す老桜」の批評

添削した俳句: 胴吹きや一花灯す老桜

c_riverさん、お早うございます!頓です!
取り急ぎの早速にて…。
御句、老桜の古い幹に、一輪の花が咲く様の描写、内に秘めた「最後の気力」或いは「懸命に生ようとする力」を持つ老桜の姿を間近に感じさせ、情感豊かな、趣のある作品として、鑑賞致しました。
「老いても、なお、ひたむきな生命」を捉えた、美しい描写、佳句です!
セオリー?に従えば、「同吹」「一花」「老桜」は、重複の措辞になるの可能性もあるところ、御句は、敢えて承知で描写されており、上五→中七→下五への視線の誘導、このカメラワークが見事だからこそ、その重複表現を超えて老桜を慈しむ心が作品に現れており、見事な写生句かと思います!
「重複」を抱えながらも、御句が読者を惹きつけるのは、「老桜」という大きな存在感と、そこにポツンと咲いた「一花」の対比を強調したかったからこその作品、だと私は思います。
私こそ、重複でくどいコメントになってしまいましたm(_ _)m。
御句に私自身の姿を重ねた次第でもあります。
勿論、御句、私は、このままいただきます!
冗長の段、ご容赦願いますm(_ _)m。
以上、失礼仕りましたm(_ _)m。

PS:私、6月の総会で、一戦を退きます。人間、引き際が肝心かと…。
他の方々にも申し上げておりますが、総会終了までは、何かとバタバタして、本道場も、覗かせて頂く程度になりそうです。
ながら、c_riverさんの作品は、可能な限り鑑賞させて頂き、コメントを差し上げたい、と存じますが…。
果たさざれんば、ご容赦願いますm(_ _)m。
ではまた!

点数: 1

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