「梅枝につがう目白や春隣」の批評
添削した俳句: 梅枝につがう目白や春隣
こんばんは。貴句、拝読いたしました。
景が魅力的ですよね。
手持ちの『新版 角川季寄せ』を参照して、季語から押さえて参ります。
梅(初春・植物)、目白(三夏・動物)、春隣(晩冬・時候)
単なる季語の羅列ではなく、「季節外れの目白が来ている」事への感動は
十分に伝わってきております。
目白が来た場所としての描写ですので、梅は季語としての機能は弱い。
季節感を決定付けているのは、上五の梅とも相まって下五の春隣。
私めが気になったのは季語ではなく、「梅枝「に」つがう」の措辞による、
2つの誤読の危険性でございます。
①:「つがう(つがふ)」には「対になる」「一体になる」との
意味がございますので、「梅枝と目白が対に、一体になっている」様にも
読める余地がある様に感じました。
②:「梅枝に鳥か何かがつがっていて、東京の目白は春隣なのに既に暖かい」との
感慨との読みも成立してしまい、季節評価として「春隣」が東京的な気候感の詠嘆に
転ぶ余地も有る様に私めは感じました。
①と②が曲解ではなく、語と助詞の選択により、意図しない読みとして
開いてしまっているのでございます。
それを避けるなら、例えば以下でございましょうか。韻律も少し意識して、
枝を「え」と読ませます。
A:梅の枝に番ひの眼白春隣(名詞「つがひ」を用いる方法)
B:梅の枝の番ふ眼白や春隣(詠嘆を残す為に助詞を変える方法)
念の為、意味は殆ど同じですが季語の漢字表記も変えてみました。
A案は詠嘆はやや弱まりますが、意味はより明確になるのではないかと、
私めは考えました。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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