焦げ秋刀魚口聞かぬ妻もおろしは添え
添削した俳句: 焦げ秋刀魚無言の妻や鬼おろし
句意を変えたくなくて、ない頭をひねって色々考えてみたのですが、一つおいていきますね。(内容の割に語気がキツかったりするのを字余りでゆるくして改善できないかなと思って、成功している気がしたので余ったままにしてみました。)
点数: 1
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添削した俳句: 焦げ秋刀魚無言の妻や鬼おろし
句意を変えたくなくて、ない頭をひねって色々考えてみたのですが、一つおいていきますね。(内容の割に語気がキツかったりするのを字余りでゆるくして改善できないかなと思って、成功している気がしたので余ったままにしてみました。)
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添削した俳句: あと一個誰が食べるか水ようかん
みなさん水ようかんを中心に書かれているのですが「後一個、誰が食べるか」というくだらなくて微笑ましいあるあるな状況をよまれているのだとしたら、いっそ「水ようかん」を捨ててもそちらの要素をブラッシュアップしたほうが本質に沿っているのでは? という風に考えてみました。
ただ結論から言って水ようかんを捨てる必要は全くなく、これ以上の適役もいないような気がしました。水っ気のあって甘くて美味しい水ようかんは夏の季語だけあって、あつくってうだってしまう毎日の中で目の前に出されたら絶対に食べたくなりませんか。かといってゼリーやプリンじゃ年中食べられるので、食欲に拍車をかける夏の暑さを説明できません。アイスじゃはやく食べないと溶けるだとか、決まった形もないし一個二個と数えづらいとか余計なことが多すぎる。
あと、「あと一個、誰が食べるか」という状況のどこにおかしさを感じるかは人によりけりな感じがしたので、いろいろな方面に伸ばしていけそうな感じがします。美麗だったり小洒落ていたりする句に化けているのも、誰も食べていない最後の水ようかんが、そもそもちょっとした風情まで醸し出しているためでもあるかと思いました。
私なりに少し具体的にしてみたのがこれでした。
点数: 5