俳句添削道場(投句と批評)
ハオニーさんのランク: 師匠465段 合計点: 1,513

ハオニーさんの俳句添削依頼

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年の市社交ダンスのごと我ら

回答数 : 12

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サティアンを憎む石碑や雪しづか

回答数 : 7

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塀越しの君は風の子日向ぼこ

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赤梨のざらざら指の乾くとか

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芋煮なり仰臥の母の味とおもふ

回答数 : 16

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ハオニーさんの添削

「風鈴の舌を甚振る野分かな」の批評

添削した俳句: 風鈴の舌を甚振る野分かな

ちゃんと私なりの答えを持ってきました

吹き飛ばす石は浅間の野分かな 松尾芭蕉

どう言えば分かってくれるか、割と時間がかかりました

こちらの句の「かな」は感慨深いです
野分は「野の草を吹き分けて通る風」が通説であり、「吹き飛ばす石」と言われると野分は出づらくなるものです

しかし作者自身は「浅間の野分」と言い切っています
ここに作者らしさが見えてきます

一句の軸は、野分の激しさではなく「浅間の野分とはこういうものなのか」という感慨深さにあります
よって「かな」が活きるのです

浅間の野分だからこそ、「吹き飛ばす石は」という表現を何度も推敲なさったのでしょう
推敲の跡があったことは、既にご存知かと思います
勢いを軸にするわけではないけど、勢いがないと「浅間らしくない」ですから

名句の鑑賞では、軸がどこにあるのかを考えるのが大事ですね

点数: 1

「風鈴の舌を甚振る野分かな」の批評

添削した俳句: 風鈴の舌を甚振る野分かな

確かに、らしくない作戦ですね
季重なりを意図的に選択する方ではなかったですからね

これは私の考え方です
「甚振(いたぶ)る」は激しさのある動詞です
野分に対してこの動詞を選んだのはいいと思います

しかし、しみじみとした切れ字「かな」と馴染んでいません
一句の雰囲気は激しいのに切れ字「かな」は優しい
軸がぶれています

「かな」を変えれば「野分の激しさ」に焦点がきちんと当たります
風鈴の舌を甚振るかに野分

屁理屈はこうやって組み立てるのですが、横槍というものは一切肯定をしないから何も生みません
言葉に責任を持って意見しないと、本気で相手に寄り添っていい提案をしていかないと、同じところを周回するだけで終わります

点数: 5

「半熟の苦さなつかしトマト哉」の批評

添削した俳句: 半熟の苦さなつかしトマト哉

はじめましてハオニーです
「なつかし」について改良の余地があります

「哉」という切れ字を使っているので、基本的に「哉」までは切れを作らないのが鉄則です
この「なつかし」は終止形です
連体形「なつかしき」じゃないと「哉」が活きません

しかし、「なつかし」という感情を書くのは上手くなるためには避けた方がいいものです

私なら、どのように苦いかをもっと詳細に描きます
半熟の身のほろ苦きトマト哉

「半分青い」というトマトの色の情報で俳句を詠むのも面白いと思っています
五感を上手に刺激しながら楽しくやっていただきたいです

点数: 2

「ラーメンのスープにもなるトマトかな」の批評

添削した俳句: ラーメンのスープにもなるトマトかな

お久しぶりです

中七が甘いと感じました
「にも」で軸がぶれていること、これは間違いありません
トマトラーメンを聞いたことはあるけど、食べたことはないのかな?と思っていたら、コメント見た感じではその通りなのでしょう

私ならば
ラーメンの酸味となれるトマトかな
くらい、食べてみた感を出します

確かに、トマトがラーメンのスープに用いられることはあるのです
ただトマトは昆布よりも原価率と手間が増えるので、安価なトマトをどのように調達するかが課題のようです

点数: 2

「黙祷は正午ぞ八月十五日」の批評

添削した俳句: 黙祷は正午ぞ八月十五日

まひるでもしょうごでも中八ですが、結局は無理やりルビを振るしかありませんね
この語順で「ぞ」をいれたら、中八回避は出来ませんね

「ぞ」を残すには上五字余りの
八月十五日正午の黙祷ぞ
とすれば成立ですが、やはり私はそれでは押しつけがましいと思っています

点数: 1

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