「青時雨水面に響くまたこんど」の批評
おはようございます。
とりいそぎ季語の話。
「青時雨」・・初夏の季語「青葉」の傍題で「青葉時雨」と同義。
雨後、青葉にたまった雨水が落ちてくる様子を「時雨」に比喩して表す初夏の季語です。いくつかの歳時記に掲載されており、季語として使って良いとは思っています。
ただし、この句の場合、いつの季節を詠んだの?ということにはなりますね。
句の中身については、慈雨様のコメントに近い印象を持ちました。
◆「響く」という単語がお好きなようですが、「響く」という単語に私は「反響する・響くように伝わってくる」というイメージを持ちます。単に「音が聞こえてくる」という意味で「響く」は大げさに感じます。
なので句を見た時は『「またこんど!」と誰かが大きな声で言った言葉が水面に響いているように聞こえた。近くで青時雨が落ちている』という句だと思いましたが、かなり違うようですね。
◆別の方へのコメントで最近書いたような気がしますが、
俳句は五・七・五をバラバラに作ってしまうと、失敗するケースが多いようです。
この句も「青時雨」「水面に響く」「またこんど」とそれぞれバラバラに置いた感じ(【三段切れ】と言います)になっており、どこで意味が切れているか伝わりにくいです。
実際に、慈雨様も私も、句を見た場合意味を取り違えて受け取ったようです。
つまり「意味の分かる句」ではなくなっています。その原因は【三段切れ】も理由のひとつです。
◆意味が伝わらない理由として、言葉が雑で表現が足りていない、と思います。
□「水面に響く」・・水滴が何かの水面に落ちることを、普通はこういう表現は使わないので、伝わりにくい。句の中にはそれを補うような単語もない。
□「水面」・・この句の場合、わざわざ「水面」と自分から出しているのに、何の水面かわからないことが、句を読み解く妨げになっていそうです。池かな?と思っていましたが水たまりでしょうか?川かもしれません。
□「またこんど」・・作者(作中主体)が「水滴に向かって思っている(言っている?)」というのが伝わりません。
他にもありますが・・
で、それらの説明を全部句に入れようとすると、十七音ではとても収まりません。
つまり、慈雨様の意見にもありますが「一句に多くを入れようとしすぎている」と思います。
整理しても、季語「青時雨」はよいとして、「何かの水面」に「水滴」が落ちて、「響く」という音の伝わり方をして、「自分(作者)」が「また次の機会に会おう」という気持ちで「またこんど」と言った・・・という。
一句に入れる情報量として何を削っていくかですが、
◆一句の中に入れる要素としては「季語」+「季語以外の何かひとつ」とよく言われます。要素を増やせば増やすほど、一句の感動の中心がわからなくなるため、難易度が上がっていきます。
◆句の中に突然作者のセリフが登場してくることに違和感があるのと、作者の「また会おう」という気持ちは、青時雨を美しく描くことで作者がそう思っていると思わせた方がよいと思います。なので「またこんど」は省略したいですね。
という感じで削りつつ、意味のわからないところは補っていくと、例えば下のような提案句になります。
・青時雨池に波紋の大と小
季語「青時雨」と「波紋」で、水滴の音は読者の想像に任せる形です。
「池」と「波紋」で、言うまでもなく「水面」は想像できると思います。
これが句の正解というわけではなく、正解はひとつというわけでもなく、いろいろな方法がありますので、いろいろ試してみてよいと思います。