「垂直に仰ぐ一点ゴム風船」の批評
添削した俳句: 垂直に仰ぐ一点ゴム風船
再訪です。
慈雨様と似たような見解になりますが。
前提として、私は前のコメントで以下のように書いています。
・俳句には「一物」と「二物」という分類はありますが、句の解釈の際の後付けみたいなもの
・句を見た際に「一物で解釈する」か「二物のとりあわせで解釈するか」というのは読み手にとって大切な点です。そこを作者側がきちんと読者に届けることができれば、句の解像度はより上がるかも
で、例示の「雲中へゴム風船を放ちたり」ですが、基本的には「一物」「二物」については、前のコメントで書いた通りです。
◆この句を他の情報なしで見たときは「一物寄り」に解釈すると思います。
「雲」は風景。
「放ちたリ」も、主格を気にする必要はなく置かれ、風景を補っています。「放った何か」は人間ではなく解釈することもできます。「デパートの屋上から放たれた」かもしれない。動詞の質が「眺める」とは異なっている感じです。
◆「読者が句を解釈する手法」としての「一物」「二物」なら、この句は「二物として解釈する必要があまりない」句です。
また、【一句一章】(また新しい単語)に仕立てられていることから、【二物取り合わせの効果】の期待も薄めです。
◆「作者がわの意識」という点で言えば、晩乃様が二物取り合わせを意識して作ったようには見えないですし、意識されていないと思います。
季語を中心に季語の状況を描写する句を作った場合、基本的に解釈は一物に近くなります。そういう句というのは、前例句が山ほどあり、新しい句を作ることが難しくなっています。
対して「二物とりあわせの句」を作る場合、俳句の技法として「季語を説明しない」「季語との距離を離す」「誤読を回避する」など「とりあわせで佳句を作る技法」を意識する必要があると思います。
結論としては、例示の句「雲中へゴム風船を放ちたり」については
◆二物(とりあわせ)の効果を狙って作った句とは思えない
◆二物取り合わせとして解釈させようという意図も感じない
◆句の解釈に、二物で受け取れば広がるような箇所がほぼない
◆一物・二物というジャンル分けにあまり意味がない
というところでしょう。
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