「雀来てふくら雀となりにけり」の批評
添削した俳句: 雀来てふくら雀となりにけり
こんにちは。
>「ふくら雀が来るのではなく雀が来てふくら雀になるのです」
たしかに理屈ではそうなのですが、俳句とするならば観察者の主観によって受け取り方が異なりそうな気もします。
◆雀がどこかから目の前に来て、ふくら雀と呼べるサイズになるまでじっと見ていた
⇒これなら掲句のとおりなのですが、そんな長い時間をいちいち報告されても・・とは思いますね
◆さっきまで雀がいなかった場所(自宅の庭など)に、気付いたら雀がいて、すでにふっくらしていた
⇒このケースでは「ふくら雀が来た」という感情を抱くかもしれません。ですが「来た瞬間を見ていない」ので、俳句に「来て」という単語を入れるのは難しいかもですね(不可能とは思いません)
◆雀が来て、気づいた時にはふくら雀になっていた。飛んでいるときには区別がつかないため、観察者は「ふくら雀が来た」と思い込んでいる
⇒こういうケースもありそうです。観察者にとっては「ふくら雀が来た」で間違いではない状態。むしろ「ふくら雀になった瞬間」を見ていないため「ふくら雀になった」と表現するのは嘘を含んでしまう。
個人的には、理屈では来ないものを「来る」と断定するのも俳句の面白さなので、「ふくら雀が来る」はやりようがあるのではないかなあ・・なんて思っています
・つぎつぎとふくら雀の来てをりぬ
点数: 1
