「春の波砂山くずし香るなり」の批評
回答者 腹井壮
百合子姐さん、こんばんわ。いつもコメントありがとうございます。自分が今作句する時に意識している事が二つあります。一つは匂いを詠みこむ事です。この世にある俳句の多くは視覚と聴覚の情報を詠みこんではいますが意識して嗅覚に拘った句は少ないのです。ですからそこに拘るとオリジナリティが生まれます。もう一つはある一つの事だけを細かく描写する事です。例えば子供の服についた砂を払う時百合子姐さんならどうしますか。自分ならいったんしゃがんで子供の身長にあわせてから砂を払います。百合子姐さんもおそらく棒立ちのままではないはずです。
ですが今回の句はどちらも中途半端に終わっています。乾いた砂を掬った時に立ち上がる潮の匂いがするでしょうし海水で湿った砂を掬えば「しょっぱい」匂いがすると思います。誰かが作った砂山が波に洗われてゆくなら少なくとも頂点の三角部分は削られて残っていないとか。丸くなっているとか。難しい事を要求しているようですが意識するだけで結果はそれなりに変わってきます。
点数: 2
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塩の香りを感じてくれますか?