「孟徳の如く浴びるや北しぶき」の批評
回答者 秋沙美 洋
カイさん、こんにちは。
自分は三国志はあまり詳しくありません。曹操の字が孟徳だというくらいの知識は持ち合わせていますが。
北しぶきを浴びるというのは何も孟徳に限った事ではありません。北しぶきの現場に居合わせたら誰だってそうなるので、「孟徳のごとく浴びる」というのは比喩としてちょっと奇妙というか、おかしいと思います。
ちょっとこれは添削のしようがないので、今一度北しぶきという季語と向き合ってみてはいかがでしょうか。
さて、先日頂いた質問のお返事を以下にお書きします。
本当は字句自解はあまり好きではありませんが、お互いの勉強のためと思って。
※一人居を選択した理由について
これまでにも一人居の句はここに結構出して来ました。それには「独り居」とか「独居」という語句を使っていました。
今回「一人居」とした理由は、まあ言ってしまえばなんとなく、です。
秋沙美としての感覚が、この句は「独り」よりも「一人」が似つかわしいかなと思って、この表記にしました。
※中八について。
もちろん、17音に収めようと思えば収められる題材です。推敲の過程では
「白すぎる聖夜のケーキ我が独居」
「独居には聖夜のケーキ白すぎる」
「独りには聖夜のケーキやや白い」
など、他の形でも全部で5句程考えていました。
中八でリズムが崩れる事と、助詞の「が」を使ってクリスマスケーキの映像をダメ押しで強調する事とを天秤に掛け、これもまた秋沙美としての感覚では後者を取ったという次第です。
以上を踏まえて少し話がそれます。
全く同じ感覚を持った人というのはいません。僕の感覚、カイさんの感覚、他の方の感覚は、全て違う物です。
僕がこうすべきだと思った事が他の方にとっては微妙に映る事も往々にしてあります。
一人一人が違った価値観で意見を言い合う事で、自分の知らない視点に気付ける。それこそが添削道場の大きな意義であると僕は考えています。
ただし、自分の意見と異なるからといって、他の人の言葉をないがしろにするのは良くありません。一人一人違った価値観を持つ人同士だからこそ、その価値観はしっかりと尊重していきましょうね。
添削の際、僕は思った事を遠慮せず言います。それが僕なりの誠意だと思っています。
どうぞ、これからも程よい距離感で切磋琢磨していきましょう。
点数: 0
添削のお礼として、秋沙美 洋さんの俳句の感想を書いてください >>
冬真っ只中のある日、その日はゆっくりめの粉雪が降ってましたが、帰り道でいきなり雪が冷たい大雨に変わり、びしょ濡れになりながら家に帰りました。
赤壁の戦いでも、曹操が敗走中に冬の時期の冷たい雨を直に浴びながら逃げたのを思い出し、今の自分はまるで曹操が受けてる現状みたいだと感じたことを句にしました。
中七を[如く味わう]とも考えましたが、やでカットを切った方が良いと考えて浴びるやにしました。