「仙人の如く吾子らが梨齧る」の批評
回答者 秋沙美 洋
カイさん、こんにちは。
疑問を抱いてらっしゃるようなので…
ささゆみさんの「梨や喰う二十世紀を振り返る」
この句の「梨」と「二十世紀」は季重なりではないと思います。
まず「梨」が季語であるのは言うまでもないので、「二十世紀」を季語として扱うかどうかが争点になりますね。
カイさんが言うように、「二十世紀」という語句はこれ単体で歳時記に掲載されています。二十世紀梨の事ですね。
ただ、「梨や喰う二十世紀を振り返る」の場合、冒頭で既に「梨」という季語を出しています。ですので後に続く二十世紀が指すのは季語としての二十世紀梨ではなく、時代としての二十世紀になると思うんですよ。
仮にこの二十世紀が季語で、二十世紀梨の事を指しているのだとしたら…梨を食べて二十世紀梨の事を振り返るという、梨を二回も出すヘンテコな句になってしまうと思いませんか。
ささゆみさんの句が意味する所は、「二十世紀梨を食べて、戦争や高度経済成長といった歴史、そして私自身の過ごした二十世紀に思いを馳せる」くらいの意味かなーと思います。
とはいえ僕はささゆみさんではないので、こういう構成でこういう句意があるから二十世紀は季語じゃないです。と断言する事が出来ないのが現実であります。
僕が答えていいものだったかどうかまだ分かりませんが、色んな方に何回も何回も聞くほど気になっている様子でしたので、僕の考えをお話しさせて頂きました。
あくまで個人的にはこう感じる句だったよ、という一読み手の一意見ですが、カイさんの疑問が解決に近付けば幸いです。
点数: 3
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昔小さな子供達が、切った梨を美味しそうに食べてる姿を見て、中国の昔話にある「梨売り仙人」の仙人もこの子供達と同じように、梨を美味しく食べてたのではないのかな。いう事を考えた時のワンシーンを句にしました。