「今日だけは猫になりたや日向ぼこ」の批評
こんばんは。
ご無沙汰しております。
おくらです💦
先に謝罪をさせていただきます💦
大変、申し訳ございませんでしたorz
私は学生時分からついつい、人様の心の家にほいほい上がり込もうとしてしまうきらいがあります。
悪意は全くないのですが、対面したことがなく、おくらの素性をほとんど知らない他人の方にそれをしてしまうと、やはり無遠慮かつ失礼に当たるものと判断しました。
今後は、極力、御句に対する感想のみに尽力させていただこうと思います!
恐縮ながら、御句に感想を述べさせていただきます。
やや散文的な印象を受けますが、私はかなり好きな句ですね!
猫には猫の苦労があると思いますが、道端や壁垣の上で、のんびり日向ぼっこしている彼らを見かけると、やはり菊花様のような気持ちを抱きます。
久しぶりの小春日だったのでしょうか。「今日だけは」という上五が、御句の世界の【「今日」という日が、とても暖かく、のどかで、穏やかな一日〉である】ことを、読み手に強く感じさせてくれます。
その抽象的な「今日」に対する印象を、視覚的情景描写として具体化する「日向ぼこ」する「猫」、そして、切れ字を使ってまでも、その「猫になりたや」と詠んでしまう詠み手の心情が、ひしひしと伝わってくる素敵な句だと思いました。
猫にならずとも、日向ぼこをしながらのお昼寝は出来ると思います。お休みは大事です!
少しでもご参考になれば、幸いです。
添削のお礼として、丼上秋葵さんの俳句の感想を書いてください >>
ご近所の飼い猫が気持ち良さそうに、思う存分日向でお昼寝してたので。