「パチンコでたぶん負けてる春セーター」の批評
回答者 明智明秀
こんにちは。
お句拝見致しました。
「散文に季語を足しただけの句」と言うご本人のコメントですが、
俳句は、作者が「何を詠みたかったのか?」が大事と思います。
読む人がどんな感想を持つかは、二の次の問題です。
「散文ですね。」と一蹴する人もいます。
しかし、自分が詠みたかった事が表現出来ていると思うなら、それは俳句です。
ただ句としての良し悪しはあります。
「パチンコで」の「で」と言う助詞や
「負けてる」の「~てる」など散文っぽく感じる原因は幾つかあります。
それを韻文っぽく(俳句っぽく)する方法は勿論ありますが、先に申し上げたように
「何が言いたいの」と言う「核」が作者に無ければ意味がありません。
お得意のパチンコシリーズかも知れませんが、この句は読みようによっては、
「春の生ぬるい空気感の中の、ギャンブラーの悲哀」みたいな句と見ることは出来ると思います。
銀玉のひとつ残りて春セーター
作者の詠みたかったことが判然としませんので、季語が「春セーター」で良いのかどうかは私にも分かりません。
よろしくお願いいたします。
点数: 1
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またしてもパチンコ屋、となりの台で打ってる若い女性客、なんか怒ってるような
雰囲気で、多分負けてるんじゃないかなー、ピンクのセーターがなんか悲しい