「ボケの花あっ木蓮の人違い」の批評
回答者 みつかづ
再来失礼いたします。
note記事、拝見いたしました。
「遠目にはボケの花かと思ったが、近づいてよく見ると木蓮だった」んですね。
それでしたら、添削提案が変わってきます。倒置法の方が良いでしょうかね。
・勘違い白木蓮を白木瓜と
白木蓮が主の季語、白木瓜が脇役の季語との力関係になります。
次に、拙句「春雨や買い物袋に春雨」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/34211
<あえて崩してる?
はい。ワザと崩しております。
それは2回目の春雨の解釈を多義にする為です。階層構造ですよね。
①:食べ物の春雨
②:季語「春雨」の繰り返し
③:①と②の両義(掛詞)
<「ハルサメに(5)・濡れる袋に(7)・春の雨(5)」これでありんす
私めだとそれはしないですね。
何故なら「濡れる袋」と書いちゃいますと、「濡れていない」という解釈が
読者側で不可能になっちゃいますし、「濡れる」が説明的なんですよね。
元句の季語が「春雨」で詠嘆もされていますから、わざわざ濡れると書かなくても、
「買い物袋が濡れているかもしれない」位は読者側が想像できますので。
なのに書いてしまうと、俳句が嫌う「説明」に堕してしまう訳です。
「春の雨が降っている中スーパーに出掛けて、会計を済ませた後、
食べ物の春雨を塗れていない買い物袋(マイバッグ)に入れる」との景が
立ち上がる余地を残す為なんですよね。
繰り返しますが、「濡れる」と書いてしまいますと、
「濡れていない」との解釈の余地(=読者に残す想像の余白)が
無くなってしまいます。変数にしたい部分を定数にしない事、
Excelで相対参照や複合参照にしたい部分を絶対参照にしない事と同じですね。
「読者に伝えたい内容の設計図をどの様に描くか?」、
「矛盾の無い景の立ち上がりを何通りまで設計するか?」、
「読者に立ち上がる景をどの程度まで絞り込むか?」という、
推敲段階の事なんですよ。
以上でございます。幾度もお目通しいただき、ありがとうございました。
点数: 1
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>


ボケの花 あ、木蓮の 人違い
僕は、春の花で、いつも困るのが、ボケの花と木蓮の花です、スターダストレビューのとっても、なんか深い歌に木蓮の花っていうのがあるじゃないですか?あれが頭にこびりついてあの白い花を見ると、あっ、木蓮だ、木蓮があんなとこに咲いて、またあの歌歌ってるなんて思っちゃうんですけど、実はあれはボケなんです。お前バカかあれはボケだぞ、ボケが、ボケって言ってどうするんじゃなんてよくはるのお声をかけていただいて、お決まりになっています、まいっか