仏前に頭垂れたりチューリップ
回答者 丼上秋葵
おはようございます!
今日も元気に、おくらです。
御句「鉢物」の句に述べた、私のコメントの内容が、千日草様の【目の前の対象をそのまま切り取る率直な詠み】という長所の部分を、変に複雑な理屈で阻害してしまわないかと心配していました💦
ちょうどいい句を発見したので、感想を述べさせていただきます。
こちらの句は、字面だけ捉えると「仏壇花」としてお供えした「チューリップ」が時間経過と共に萎れてきてしまった、と捉えることができます。まさに、見たまんまをそのまま詠んだ句です。ですが、この句に関しては、それ以上の余情を感じとることができます。
かこ。様やかぬまっこ様の仰る通り、「チューリップ」は〈元気〉で〈明るい〉イメージを持っていますから、「仏壇」の〈沈痛〉で〈暗い〉イメージとは、正に対照的です。この句の素晴らしいところは、「チューリップ」と「仏壇」、一見すると相容れない二つの言葉が一つところに同居し、独特の詩情が生まれているところにあると、私は考えました。
〈生き生きとした〉〈明るさ〉が取り柄の「チューリップ」までもが、「仏壇」の前では、故人を偲んで〈物憂げに〉頭を垂れて、うなだれている。
私はこのように、読み取りました。
また、ここに至って、「チューリップ」が普段は〈明るく〉〈元気な〉故人の身内(詠み手自身も含めて)を暗に示しているのではないか? と深読みまで促してくるんですね。よい句だと思います。
例えば、これを
◆チューリップも悲しみたるや仏壇花
としてしまっていたら、余情もへったくれもあったもんじゃありません。「悲しみたるや」の部分を全く書かずに、【一見するとただの写実描写に見える句から、読み手が詠み手の思いを察することができるように作句すること】が、上達の鍵だと思います。
少しでもご参考になれば、幸いです。
点数: 1
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仏壇に供えたチューリップが日の光を求めて曲がってしまいました。明日は水仙とクリスマスローズに変えます。供えかなにしようかとも思いましたが…。