「今は昔秋の渚や親不知」の批評
回答者 頓
ジョイさん、お早うございます!頓です!
早速にて…。
拙句「有明月」へのご鑑賞等、誠に有難うございますm(_ _)m。
「正に同じ景を旅先の途中…中略…決して忘れる事はないだろうとその時も思いました。それほど美しかったのです。その時も星はふたつでした。」とのコメント、有り難く感じました。時と場所は違えど、私と同じ景をご覧になられた由、感激しております!
さて、御句、佳いですなぁ…。
ただ、みつかづさんが仰せのとおり、三段切れになっていることは否めません。
ここは、みつかづさんのご提案句に理あり!かと思います。
「季語が動く」と仰せの件ですが、秋に「秋の花の季語」で作句したような場合は格別、そもそも季語が動かない句は稀ではないでしょうかなぁ…。私は、以前にそのような指摘をしてしまい、袋叩きに会いました(笑)。
したがって、作者がそのように詠まれたのであれば、それをそのまま受け入れるべきだ、と今は考えております!
勿論、季語が主役ですから、適切な季語を選択することは肝要で、何でもかんでも、というものではありませんが…。御句の場合も、季語を「冬」に変えても句意にさほど変わりはないでしょうが、観られた、詠まれた景は、「秋」なのですし、当季でもあり、私は、何ら問題ない、と思います。マァ、諸々ご意見はあろうかと思いますが…。
冗長になりましたm(_ _)m。重ねて有難うございましたm(_ _)m。
以上、失礼仕りましたm(_ _)m。
点数: 2


松尾芭蕉も歩いたとされる北陸の海岸、親不知、子不知。
断崖と荒波の間のわずかな砂浜、そこが道だったのだ。
親が子供の手を引いていても、子供だけが波にさらわれることも
あったのだろう。
今は、国道、高速、日本海ひすいラインが通っている。
北陸新幹線も。
これはいわゆる季語が動くというものですか。
春夏秋冬、どの季節でも成り立ちますね。
秋の白波でも同じだし…
よろしくお願いいたします。