「龍天に登り生命水に死す」の批評
回答者 独楽爺
こんばんは。
早速ながら、俳句には余韻(余白)を、そのため極力省略という作業は欠かせないと思います。死すは答え断定し、そもそも生命とくれば死は読者の想像の範囲ぐらいにとらえ省略しても良いと思います。死すと答えを断定しまうのも詩情を損なうので避ける方が良いかと。
"竜天に昇り命の水浸し
よろしく。
点数: 0
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作者 とき 投稿日
回答者 独楽爺
こんばんは。
早速ながら、俳句には余韻(余白)を、そのため極力省略という作業は欠かせないと思います。死すは答え断定し、そもそも生命とくれば死は読者の想像の範囲ぐらいにとらえ省略しても良いと思います。死すと答えを断定しまうのも詩情を損なうので避ける方が良いかと。
"竜天に昇り命の水浸し
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旧暦では春を過ぎてしまいましたが、龍天にを使って遊んでいます
龍が天に昇って降らせた雨に生命が沈んでいくといったイメージです