「筍煮迷い箸善し崎陽軒」の批評
回答者 慈雨
神戸雄大様、初めまして。よろしくお願いいたします。
新幹線でのシウマイ弁当は王道ですね!シウマイ以外のおかずも魅力、強く共感します(笑)。
三段切れとか、いくつか気になったことがあるのですが、季語のことに絞ってコメントさせてください。
勘違いでしたらすみません、シウマイ弁当の筍煮って、一年中入っていませんか?
そういうものは季節感に乏しく、季語としての力が弱いとされます。
さらに「迷い箸」ということは、「シウマイから食べようか、唐揚げにしようか、鮪の照り焼にしようか…」という心境ですよね。敢えてその中で「筍煮」をピックアップする必然性に乏しい印象です。
なお様もコメントされていますが、やはり俳句の主役は季語ですから、季語を通して季節の移ろいを感じられる句をめざしたいところです。
「筍煮」を使うなら、申し訳ないですが「迷い箸」「崎陽軒」は諦めた方がいいかもしれません。
句意を変えてしまいますが、「お弁当に筍が入っていた!もうそんな季節かぁ」というような内容なら、俳句として成立しそうです。
・弁当に筍煮あり列車旅
またよろしくお願いいたします。
点数: 1
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【季語】筍煮
新幹線などの移動中に駅弁のシウマイ弁当を食べる時、筍をはじめ魅力的なおかずが多過ぎて、いつも食べる順番に悩みます。
本来迷い箸はタブーとされていますが、それを良しとしてもいいじゃん、だって迷わせるぐらい魅力的なんだから。と開き直っている心情を描いてみました。
懸念しているのが、「崎陽軒」=駅弁、シウマイ弁当と読み取らせるのには読み手を信用しないといけないですが、それが許容されるのか。
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