「空見上げ優しい雨が頬雫」の批評
回答者 なお
伊藤来斗くん、こんにちは。
精力的に投句してますね!
御句拝読しました。季語のことは、先に慈雨さんがおっしゃっていますので、私は別のことを。
上五、「空見上げ」、わかるのですが、俳句では、こうした、感動のきっかけの動作(例:「見上げれば」「ふと気づく」「よく見れば」等)は、なくてもいい、省略可能のようになっています。
なぜなら、俳句はみな、見上げたり、気づいたり、よく見たからこそ作るものであって、気づいてもいないものはそもそも俳句に読みようがないですからね。
次に、「優しい雨」。やはり俳句では、このような、受け取り方に個人差の大きい形容詞は、あまり好まれないようです。それよりも、他の具体的な、描写で言い換えて、読み手に、ああ、それは優しい雨だなぁ、と思ってもらえる、そういう作りを目指したいです。
それにはね、季語が、力を持っていますよ。例えば、「春の雨」「春時雨」とかは、叩きつけるような雨とか、身体の芯まで冷え切ってしまう雨とかいういみでないことは分かりますよね。こういう季語を斡旋することです。
最後に、「頬雫」。これも分かりますが、ちょっと窮屈ですね。「春時雨」なら、上手く置けば、読み手は、ああ、雨はあがって、今ではもう晴れているけど、名残りの雨がポツンと来たのかな、とか読んでくれますよ。
楽しんでくださいね!
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中学生です。
雨の降る日に外で空を見てみると
顔に一粒の雨が落ちて来て
その日は太陽も出ている日の雨だったので
いつもの悲しいような雨ではなく優しい雨が
降ってきたんだなと思い句作しました。