「丸皿に醤油を弾く本鮪」の批評
回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。
まず先に季語の問題から。
元来「鮨」が夏の季語なのは、「熟れ鮓」「押し鮨」などの夏にも耐える保存食だったから、という事情があり、現代の鮮魚を生で使った「寿司」が季語かどうかは難しいところがあります。
ここは俳句の先生によってもいろいろ考えられているようで、正直、人によって言うことが変わります。
また、「鮪」が冬の季語なのは、近海の鮪は冬場が旬と考えられていたからです。現在の通年出て来る冷凍の鮪が季語かどうか、という問題も実はあります。
(遠洋漁業で獲られた鮪は、必ず一度は船内で冷凍されますので・・・)
なので「鮪寿司」が季重なりかどうかは、正直なところ、受け取る人の季語への思想によるところが大きいと思います。
私は「そもそも季語かどうか怪しい」と判断しつつ「作者が(冬・夏の)季語だと主張するならしょうがない」と思うかな・・?
で、句全体の方です。
句そのものは、「鮪」を季語とすれば「季語ひとつ、五七五のリズム」という最低限のことはできていますし、意味もわかります。ここまではGoodです。
なので、次の段階へ。
◆「丸皿(の上)に醤油を弾く本鮪(があります)」という散文(普通の文章)の説明がほとんどでして、あまり俳句の良さがないなあ・・というのが正直なところ。
◆御句は回転寿司をテーマにしたとのことですが、
「回転寿司だと100%わからせるように説明する」のは、俳句では少々難しいです。俳句は説明を嫌いますので・・・
昔の回転寿司なら「レーン」「コンベア」などの単語を使えばよいのですが、最近は回転せずにベルトで直接届くスタイルも多いですし・・
全体で言えば、回転寿司を説明したい気持ちが勝ってしまって、俳句という形を使って「寿司の状況を説明する」ことで終わってしまっているのが問題だと思いました。
俳句の良さは「状況を説明する」ことよりも「人を感動させる」ことにあります。
なので、俳句を作る際の発想を変えてみたいところ。
「回転寿司の鮪」で感動するとしたら、見た目とか味とかでしょうかね?
たとえば「醤油を弾くことに感動」したことにしましょうか。
・わが卓のまぐろ醤油を弾きけり
点数: 1
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回転寿司を題材にした句なのですが、丸皿という表現だけでは説明不足な気がしています。
鮪は冬の季語、寿司は夏の季語ですが、本鮪ではなく、鮪寿司という表現を使った場合、季重なりになるのでしょうか。