「自らの骸を墓標として氷柱」の批評
回答者 鈴蘭
お返事ありがとうございました。思いついたので言いにきたのですが、ひとつ共有できるとすれば、写生と詩は同じものだということです。(既にご存じの場合はすみませんが、念のため)。
写生とは、雑に言うと「人間が頭の中で作れる表現の幅なんてたかが知れているんだから、目の前の現実に題材を求めた方が面白い詩ができるよね」という考え方です。単なる写実ではなく、詩の題材を取ってくるために観察しているのであって、融合させる必要は本来ありません。今回の提案句の2つ目なんかはそれで、主観要素が一切なくてもいわゆる「詩」っぽい文字列になるという例です。
客観性が唯一の正義というわけではありません。しかし「感性って人それぞれですよね。それも素敵だと思います」を超えてみたいのであれば、上記を頭の片隅に置いていただくと、もしかしたらブレイクスルーになるかもと感じました。
私もまだ勉強中の身ですが、何かの足しになれば。あとは好きな俳人を見つけて、その人の一派の句をたくさん読むのもお勧めです。
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某所水曜当選句
つららが落ちて雪に刺さっている
自らの死を弔っているようだ
前回からワンランク昇格!
皆様のご指導の賜物です!!
次は果てしなき壁、木曜ですね~
さて本句、中八にしましたが「墓として」とすると七字に収まるんですよね
そちらの方が良かったか、、、
ともかく木曜金曜の句を見て比較して勉強せねばですね
あと、目指せ金曜!で頑張ってますので、当選句と言えどビシバシご指導よろしくお願いします!
当選句、ということでなかなか言いづらい面もあるかもですがお手数をおかけしますが忌憚なきご意見お待ちしております