「夜半なり声澄み渡る除夜の鐘」の批評
回答者 慈雨
博充さま、こんばんは。
御句拝読しました。前句の頓さまのコメントを踏まえての詠み直しかと思いますが、ごめんなさい辛口になりますが、率直に、問題点が解消されていないように思います。
〇「暁」を「夜半」に変えたことで「除夜の鐘」との矛盾はなくなっていますが、除夜の鐘が夜中に鳴るのは当たり前なので、上五は季語の説明になっており、不要な言葉だと思います。
〇「声澄み渡る」は前句そのままですね。
頓さまの指摘のくり返しになりますが…俳句は一人称なので「声」は自分の声ということになります。除夜の鐘が鳴っているのに声が澄んで聞こえるのか、違和感があります。
あるいは「声」というのは除夜の鐘の音を比喩で表現したもの?だとしたらわかりづらいですし、何より除夜の鐘といえば普通は淀んだ音ではなく澄んだ音を想像すると思いますので、これも季語の説明になっていると感じます。
季語の力を信じて、季語から自然と想像できるような情報は言わないことを意識してみると良いかと思います。
点数: 2
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
詠み直しです。