「桜散る宴の後の寂しさよ」の批評
回答者 なお
東野宗孝さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。季節をとらえた積極的なご投句、素晴らしいと思います。
御句および「桜散るされど翌年咲くけなげ」「紫陽花よ雨で輝き増しにけり」を拝読して思ったのですが、いずれも季節をとらえている反面、すでにその感情は日本人に昔からある程度共通する感情として、季語に込められていると言えるのではないかと思いました。
例えば、桜の(花見の)あとの虚しさ・寂しさ、でもまた来年は咲いてくれるから、それを楽しみに元気で頑張ろうとか。また、ほとんどの花は雨より晴天が似合うのですが、紫陽花は雨がよく似合うとかです。
ですので、今の段階ではいいと思うのですが、これからは類想類句と言って、「季語にそのことは含まれている」「もはやすでにたくさん詠まれている」と言った評価にぶつかるかもしれないと思います。
そのような時には、何かしら、東野さんらしさというものをどこかに入れるようにしていくと、オリジナリティが出て際立つのではと思います。
いまここで、何か例を挙げるといいのですが、それはまた次回にさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。
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最初は、「桜散る宴の後の静けさよ」でしたが、これでは説明です。
あんなに皆んなと楽しく過ごしていたのに、一人になると、その落差から、寂しさがより強く感じられる。
まだまだ、不十分ですが、投句してみました。