緩和ケアに去る友の笑み冬の月
回答者 幸福来々
私の読みが甘かったなと思えた点があり、再訪失礼します。
この句の感慨を説明いただきありがとうございます。
説明をいただいて君がいれば、君と呼ぶ僕がいるのが当たり前だなと。
この『冬の月』はもちろん二人の描写だと読めてなかったと気が付きました。
そりゃ、微笑まれた方も辛いに決まってますよね。。。
また、『君』に常にある苦しみがあることは、『緩和ケア』で理解できたかもしれないなと思いました。
一応調べたのですが、調べ方が甘く「何かしらの病気がある人のケア」くらいに思ってただけで、『緩和ケア』とは「生命を脅かす重病を患っている当人とその家族」が対象となる医療行為なんですね。。。。
そのような方が、『緩和ケア』を理由に行くときの笑顔って心に来るところがあると私も理解できました。
『冬の月』との取り合わせ贔屓目なしで成功してると思います。
冬だけだと、その友はもうすぐ逝ってしまうのではないのだろうかとなりますが、『冬の月』であれば、まだ淡い希望があるのではないだろうかと思える表現だと思います。
改作になっていたら申し訳ありませんが、あまりしたくない添削というものをしてみました。
添削になってたらいいな。
もし、またその方と会うことができるのであれば、この句のお話をされてみてはどうでしょうか。
作品を通しての本音の会話は、とても刺激的でとても優しい空間が生まれますよ。
ちなみに私は同性愛者の男です。
間違ってなかったですよ。
点数: 1
添削のお礼として、幸福来々さんの俳句の感想を書いてください >>
友人が緩和ケアに。
こんなことさえ、俳句のタネにしてしまう、私は、鬼かも。