「暗き朝月の光に歩きけり」の批評
回答者 負乗
竜子さん、こんにちは🙂
コメント頂いたので、再訪です。
「暗き朝」に、何故"説明調"を感じたのかと言うと、"暗い朝なので" 「 暗き朝」"だから"、月の光に頼って歩きました、という因果律を、少し感じたからだと思います。(今、読み返す返すと、そうでもないかな…とも思いますが…笑)
「暗暁を月の光に歩きけり」
また、難癖をつけるのもなんですが(笑)、助詞の「を」と「に」が、弾きあってる感が、しないでもありません。微かに因果律も残っている気が…
「の」で、ぼかした方が良くないですか…
「暗暁の月の光に歩きけり」
卓鐘様が提案の「薄明の」、私の「秋朝の」ですが、後で気付いたのですが、句に"月"が二つになりますね!(笑) それと、だいぶ明るい空をイメージしてしまいます。
"暗い"という情報はやはり必要でしたかね…
芭蕉さんは「舌頭に千転せよ」と言ってます。助詞一つでも、ほんと、句が変わってしまいますよね。
…
"百転"ほどした末の、頓珍漢コメントでした😄
点数: 1
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早出の日の朝は暗いけれど月のひかりが背中を押してくれる