「勤労感謝日たまに食べたき甘いもの」の批評
回答者 森田拓也
腹胃壮さん
こんばんは
いつもお世話になり、どうもありがとうございます。
破調と、「~如し」の俳句技法を教えていただき、
ありがとうございます。
腹胃壮さんが添削して下さった句も、破調の長所や美しさを学ばせていただける句です。
必要な技法としての季重なりを教えていただいたことも、ありがとうございます。
17音であれば、体感として心地良く感じるという点は、
とても興味深いですね。
もしかしたら、と思い、句またがりの技法もまた一つの、その点の謎を解くヒントに
なるのではないかと思い調べてみました。
以下は、『覚えておきたい 極めつけの名句1000』p85からの引用になります。
気軽に読んでみて下さいね。
◆句またがり
海くれて鴨のこゑほのかに白し 芭蕉
子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま 能村登四郎
このような俳句は、いわゆる五・七・五の調子ではない。芭蕉の句は「海くれてほのかに白し鴨のこゑ」とすれば普通のリズムになる。ただし、原句の味わいは完全に失われてしまう。単に意味を伝えるのではなく、調べそのものの持つ趣がこの句の命なのである。登四郎の句は、「子にみやげなき/秋の夜の肩ぐるま」と「七・十(五・五)」のように読めばぎくしゃくはしない。しかし、それでは意味を述べているだけで、俳句独特のリズムを感じさせない。これはあくまで「子にみやげ/なき秋の夜の肩ぐるま」と読みたい。意味の上からは「みやげなき」は切れないにもかかわらず、「子にみやげ/なき」と変則的なリズムになることで、「なき」が強調される。このような表現法を「句またがり」と呼ぶ。つまり、上五から中七へ、あるいは中七から下五へ、意味上のまとまりをもったフレーズがまたがることをいう。そのときに生ずる意味とリズムの切れのずれをむしろ生かそうという手法なのである。音楽でいえば、シンコペーションにあたり、強拍と弱拍が入れ替わることによって生ずる不規則感が、単調さを打ち破るのである。
※
この句のお気持ちが僕もよく分かります。
疲れてる時、たしかに甘いものが欲しくなりますよね。
中七から、下五にかけてのどこかほっこりするご表現であると同時に、
普段の社会生活での疲れが、句に込められたご表現として、
鮮やかに浮き上がってきますね。
やっぱり「たまに」っていう言葉が強烈なスパイスとして句に機能してると感じました。
点数: 0
添削のお礼として、森田拓也さんの俳句の感想を書いてください >>
自分は下戸ですがかといって特に甘党という訳でもありません。
それでも疲れている時は無性に甘い物が欲しくなります。
この日常的な「あるある」と勤労感謝の日を取り合わせて共感を得るのがこの句の狙いです。
果たして意図が伝わる句になっていますでしょうか?
皆様のご感想や添削をお待ちしております。
宜しくお願いいたします。