「初蝉にランチの列を楽しめり」の批評
回答者 めいしゅうの妻
なおじいさんへ
再訪です。
なおじさんにお願いがあります。
御句に対するコメントで<本来は苦しいはずのことが初蝉で楽しくなったという理屈の句であります>と仰る方がおりました。
そのことが、俳句として何故良くないのかが、今の私ではどうしても理解が出来ません。私は御句を読んで、列に並ぶのは本来は辛いけれども初蝉の声を聞いて、逆に心が癒されて楽しくなったと読ませて頂きました。それのどこがいけないのでしょうか?
ご賢明ななおじいさんのことですから、先ほどの人の指摘内容をきっとご理解されるはずですので、ぜひとも私にもご教授頂けると有り難いのですが。
子のことを、何故なおじいさんにお願いするかと言いますと、先ほどの人は、私には話してくれないのです。よろしくお願いします。
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こんにちは。前句「小学生の日傘」にはたくさんのコメント、ご提案句を有難うございました。ここでまとめてお礼しますことお許しください。
「県道」は都会の話ではなく気温の高い内陸県の話だということであえて入れ、「小学生」も、幼稚園や中学生でなく小学校全体でそのように取り組んでいるということを意識して置いたのですが、結果としてご指摘のようになってしまいました。
いただきましたアドバイスを今後の作句に活かしていきます。
本句はこれまた実景即吟なのですが、先ほどオフィスを出て昼飯の店に並ぼうかとしたら蝉の声。
嬉しくなりました。
下五を「苦にならず」とかも考え、もう少しぼやっとした措辞でもいいかなと思いながら最初に思いついたままにしました。
ご意見よろしくお願いします。