「父の日に父と思しき父を見る」の批評
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。おもしろい句だと思います。
俳句
において「見る」は禁忌みたいなところもありますが、ここは「見る」を生かして、見たんだということを詠みたいわけですね。なら、夢かどうかはおいておいて
父の日に父と思しき〇を見る
父の日に父と思しき〇を聞く
をいろいろ考えてみるとおもしろいかもしれません。すでにげばの中で、いろいろ入れ替えて、これいいなあ、これ詩的だなあと思ったりしてみたりしてます。こういうことが起きるのも、みんなにいろんな議論や投げかけがあるという意味でおもしろい句です。以前、この道場には手練れの方は劣化版の句を送るのでしょう?という疑問を投げかけられてましたが、こういう句でみんなと議論したりしたい、というのが私んの思うところです。〇を見る、何を見ましょう。
父の日に父と思しき雲を見る
父の日に父と思しき星を見る
父の日に父と思しき声を聞く
このあたりは、まず最初におもいつくあるあるゾーンですよね。
父の日に父と思しき文字を見る
こうなるとちょっとドラマが出始めます。遺品整理でもしていて何かを見つけたのかな。
父の日に父と思しき雨を見る
父の日に父と思しき雨を聞く
こうなると、詩のにおいが少し出てきます。もちろんちょっとクサイよ酔ってるよ、というところとのギリギリのラインで詩は生まれるのだと思うので、どこまで共感を得るかはわかりませんけどね。
亡くなっているかを置いておけば、
父の日に父と思しき竿を見る
こういうのは結構好きです。父がおらんからいつもの釣り場に行くと、これ父の竿じゃない?っていう。これは、もちろん存命の父としてもおかしみがあるし、亡くなっている父だと読むひともいてもそれも不思議で味あるし。
いつもこんなことを考えながら、一字一音を楽しんでいます。
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夢なのか現実なのか、夢に決まっているのに・・・
夢を見ました。