「砂山の峰に紅葉を飾る母」の批評
回答者 ハオニー
この作品、あの日の母のように私はなれたのだろうか?というものが見えてきますね
これはこれでいいのですが、もう少し違う可能性をお見せましょう
「峰に」がなくても、おおよそ意味は伝わります
ならばその音数、母の方に持ってきてみませんか?
敢えて字余りで置いてみます
砂山に紅葉を飾るかの日の母
「かの日の母」と字余りにしたことで、ここに焦点が来ます
「かの日の母ということは、今はその娘(息子かも?)である作者が、子供に同じようにしているのかも...」と、想像を持ってこれるかもしれません
俳句を通して他人にもその光景が見えてくるのは、技術があるだけでなく、本当に母親となれているからでしょう
そうでないと、言葉が少しずつ取り繕ったような感じになっていますから
点数: 1
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公園に行くと思い出します。
今は私が娘の作った砂のケーキに落ち葉や石で飾りつけしています😀