「三が日早二日目の三日坊主」の批評
回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。よろしくお願いします。
一見、コメントを見るまで意味のわからない句でした。
言葉遊びの句ですね。
ふざけすぎというよりも、「自分の頭の中の理屈で作っていて、詩も映像もない」のが問題だと思います。
◆「三が日二日目」という持って回った言い回しは「二日」で済みます。
この句は「二日の三日坊主」の十音で表せます。
季語「三が日」が三が日になっておらず、残念な使われ方かと・・
◆「早」が「早くも正月の二日になってしまった」という、惜しむ意味での「早」かと思いきや、コメントを見ると「早くも三日坊主になってしまった」という意味っぽいですね。
これは「早」を置く場所を失敗しているのでは?
というか、そもそも俳句として「早」という説明が要るのかどうか?「三日坊主」という単語に「早い」という意味が含まれるかも?
◆どんなことを「三日坊主」になったか、という点がなにもわからず、「早」とだけ書かれても・・・となりました。せめて「元旦に立てた抱負を三日坊主」ならば、それっぽい仄かな情報が欲しいです。
◆そして、以上のことを全てやろうとすると、単なる説明の俳句になってしまうので、俳句として成立させるのは難しそう・・「三日坊主」で六音使いますし。
・今年の抱負三日坊主となり二日
俳句を作る時には「季語」を無駄に説明しない、というのを考えてみてください。
ちなみに俳句として成立していれば、私は言葉遊びは大好物です。
点数: 0
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
元旦に立てた抱負を二日目で挫折した句です。
ふざけすぎでしょうか。