「錦秋に一手一手と眉間にシワ」の批評
こんにちは。
はじめまして、げばげばと言います。
何から始めたいいか、そうですね、まずは歳時記を購入するのは良いと思います。
季語には共通の理解というものがあり、その季語を置くことで、読み手に共通の心情を届けることができるという力を持っています。
もうひとつは取り合わせというものを学んでみることです。
まずは、日常の中にある気づきやプチ発見を12音で詠んでみることです。
「茶碗の底の小さき罅」でも「ふおんふおんと吐く換気扇」でも、些細な気づきでいいのです。(すいません、今目の前にあるものを勝手に挙げました)
大事なことは、この12音には季語をいれないということです。
そして、出来上がった12音にぴったりの季語と合わせます。このとき、あまり関係のありすぎる季語はだめです。また遠すぎる季語もダメです。このつかず離れずというのも俳句を詠むときの妙です。
たとえば、
秋刀魚焼くふおんふおんと吐く換気扇
なら普通じゃないですか。「秋刀魚を焼いたから」って意味になるじゃないですか?こういうのは「季語が近い」とか「因果関係がある」と言って、イマイチなのです。
じゃあ、どういう季語を斡旋するか、というときに、歳時記をよみ込んで、その季語がどういう意味をもつ季語であるか、とか、読み手にどんな心情を届けることができる季語なのかを知っておく必要があります。
たとえば、即吟であれですが
行く秋や茶碗の底の小さき罅
これは、ちょっとした罅にも心がゆくくらい、しみじみと秋が行くのを惜しむ感じになりますし。
凍蝶や茶碗の底の小さき罅
とかになると、とてもとても厳しい寒さの中で、最後の力を振り絞っていきている蝶の命を、自分の苦い罅のある生活と重ねているような句になります。
短日やふおんふおんと吐く換気扇
とかだと、いよいよ冬となり、日が沈むのが早くなってきたなあという心持。換気扇からは白い湯気が吐き出され、外にいる自分と中で温かい食事が生まれていく感じの対比があり、冬の路地のさびしくもあわただしい夕景が映像として出てきます。
夜の秋ふおんふおんと吐く換気扇
これは
晩夏の夜。夜になると少し秋を感じるような、ちょっともの悲しい時期のことで。こんどはしっとりとしている夜。「ふぉんふぉん」の音が寂しさでなく切なさの音に変わってきます。
今、目につくものでぱっと書いてみましたが、
まずは、自分のプチ発見やプチ感動(ささいなものでもいいのです。そういうところに目がいくのかあ、という発見があれば何よりです)を12音として残していくということ。
それと季語を学ぶ。この2点です!いろいろ試してみて下さい。慣れてくると楽しくなってくると思います~!
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俳句に対する自分の今の状態です。
自分の問題がわかり出し何からすれば良いのか考えています。
まず季語の本を買おうかと。
よろしくお願い致します。