「炎昼や一日千秋お茶温む」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
「炎昼を一日千秋に感じた。お茶が温んだ」これしか意味がわからず、それ以上膨らんでいきません。
◆原因の一つは、「炎昼」「一日千秋」「お茶温む」という三つの要素を単に並べただけで、三段切れになっていることです。
「炎昼のお茶」以外に風景を探せず、このお茶が何なのかもよくわかりません。
◆「一日千秋」も、単なる説明の言葉ですね。
◆「炎昼」(暑い)から、冷えたものがぬるくなる、という理屈は、説明しないほうがよいです。
「ぬるくなる」をやめるか、季語を変えるかをしたほうがいいと思います。
コメントにある「公園」「ベンチ」「コンビニで買った」「待つ」などの言葉を直接使うか、それらを使わずに映像を想像させていくか、を目指したいと思います。
・炎昼やペットボトルを二本買う
・炎昼のベンチにぬるき茶を飲んで
点数: 1
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真夏の暑くて灼けるような真昼。
公園のベンチで彼女を待っている。
コンビニで買った冷たいお茶が温くなってきた。
とても待ち遠し。