俳句添削道場(投句と批評)

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水無月の限りや捨て猫の骸

作者 つちや郷里  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

私はできるだけ自分の体験したことを句にしようとしているのですが、体験したことをそのまま描きすぎるあまり、言葉の質量のバランス悪かったり、重すぎることが多い気がする。
ていうか、私の体験談が重苦しすぎるのかも。

子供の頃のことですが、町中を走り回って遊んでいると、人目の付きづらい場所に何日も雨風にさらされたであろうダンボールを見つけ、覗いてみると猫の死骸が入っていました。
布が敷いてあったので捨て猫だと思います。
心の中にずっと残っている出来事なので句にしました。

俳句でいう「水無月」は厳密に言うと現在の6月のことではないみたいですが、陰暦陽暦をあまり理解していないので今詠みました。
この体験をしたのもこの時期だったと思うので。

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「水無月の限りや捨て猫の骸」の批評

回答者 イサク

こんばんは。

◆この句の「水無月の限り」とはなんでしょうか?
   水無月の限りを風の吹く夜かな/闌更
 これならわかるんですよね。「水無月の限り」という場所(空間)を風が吹いているので・・・
◆「捨て猫の骸」インパクトは十分ですが、ここまで説明してしまう必要があるかどうか?なおじい様も似たことは言っておりますが、想像の余地が残らない句は報告的になりがちです。

「水無月+猫の骸」たとえばこれだけ残すとして、あと五~七音ぐらい、映像描写に使える気がします。

・猫の骸護る七月のダンボール

句の評価:
★★★★★

点数: 0

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「水無月の限りや捨て猫の骸」の批評

回答者 なおじい

句の評価:
★★★★★

つちやさん、こんにちは。
御句とコメント拝読しました。コメントは、つちやさんの真摯なご性格が表れていますね。

ご自身のご体験を俳句にお詠みになるのは結構なことだと思いますよ。皆さん、多かれ少なかれそうしていらっしゃると思います。そしてその体験も、うれしいことや楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいこともあります。それが人生ですから。
そうした体験を俳句を通じて共有していくのも、こうした集いの存在意義の一つではないでしょうか。

ただやはり、そこは人間ですから、読み手としてはあまり聞きたくない話もあるわけです。例えば死とか血とか、殺す殺されるとか、麻薬とか盗むとか。
こういう話題はできれば避けたい。日記俳句なら構わないと思いますが、人に読んでいただき感想や意見をもらおうというものであれば、その作品を目にした時の相手の気持ちに配慮するべきではないかと思うのですよ。

御句、例えば、「猫の死骸があった」ということではなく、

・六月の雨に捨て猫ダンボール

ということにしておけば、嘘ではないですし、ある人は、「ああ猫ちゃん、拾われたんだね、よかったね」と思うでしょうし、ある人は、「うわ、猫死んでたんだ、可哀想」と思うでしょう。
そのくらいの想像の幅を差し上げてもよろしいのではないでしょうか?

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添削対象の句『水無月の限りや捨て猫の骸』 作者: つちや郷里
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