「水無月の限りや捨て猫の骸」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
◆この句の「水無月の限り」とはなんでしょうか?
水無月の限りを風の吹く夜かな/闌更
これならわかるんですよね。「水無月の限り」という場所(空間)を風が吹いているので・・・
◆「捨て猫の骸」インパクトは十分ですが、ここまで説明してしまう必要があるかどうか?なおじい様も似たことは言っておりますが、想像の余地が残らない句は報告的になりがちです。
「水無月+猫の骸」たとえばこれだけ残すとして、あと五~七音ぐらい、映像描写に使える気がします。
・猫の骸護る七月のダンボール
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添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
私はできるだけ自分の体験したことを句にしようとしているのですが、体験したことをそのまま描きすぎるあまり、言葉の質量のバランス悪かったり、重すぎることが多い気がする。
ていうか、私の体験談が重苦しすぎるのかも。
子供の頃のことですが、町中を走り回って遊んでいると、人目の付きづらい場所に何日も雨風にさらされたであろうダンボールを見つけ、覗いてみると猫の死骸が入っていました。
布が敷いてあったので捨て猫だと思います。
心の中にずっと残っている出来事なので句にしました。
俳句でいう「水無月」は厳密に言うと現在の6月のことではないみたいですが、陰暦陽暦をあまり理解していないので今詠みました。
この体験をしたのもこの時期だったと思うので。