「紫陽花や齢五を乗す霊柩車」の批評
回答者 なお
つちやさん、こんにちは。
御句拝読しました。なんとも悲しいお話ですね。
私の感想は、やはり「齢五を乗す」がちょっと不自然、無理やり感があることと、「霊柩車」が直接すぎるのではという二点です。
他の方々と同様に、少し表現の仕方を変えてもいいのではないかと思いました。
卓鐘さんご提案の季語もとてもいいと思いますが、私は紫陽花はそのままにします。ただ、「紫陽花の雨」にしたいと思いました。
・紫陽花の雨早すぎるお見送り
・紫陽花の雨に小さき棺ゆく
・幼な子を送る紫陽花雨の中
考えているうちに可哀想で可哀想で…。もうやめます。
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お題「紫陽花」
近所の子が不慮の事故で5歳にして亡くなられた際のことを詠みました。
葬儀場の門に植えられた紫陽花が霊柩車をお見送りしているかのようでした。
気になった点は、車は乗るものだから「乗す」という言葉が必要か、5歳の子が亡くなったということがこの句で分かるか、そもそも「齢五」と説明する必要があるのかというところです。