「紫陽花は雨に打たれるためにある」の批評
回答者 卓鐘
紫陽花にあめが似合うてある意味常識というか、季語の本意そのものというか。
それを変に断定して季語の可能性を限定してしまう表現に違和感を僕は感じます。
どうやっても紫陽花は雨が似合うねということを述べているにすぎませんので、俳句作品としては難しいきがします。
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作者 黒徹 投稿日
回答者 卓鐘
紫陽花にあめが似合うてある意味常識というか、季語の本意そのものというか。
それを変に断定して季語の可能性を限定してしまう表現に違和感を僕は感じます。
どうやっても紫陽花は雨が似合うねということを述べているにすぎませんので、俳句作品としては難しいきがします。
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句、こういう嘘っぽい内容を断定していって、たしかにねーと思わせるのもいいですね。口語叙述でいくのもこの句意ならありかなあ。下五「ある」かなあ。
紫陽花は雨に打たれるために咲く
点数: 1
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回答者 たーとるQ
黒徹さんこんばんは!
「紫陽花」と「雨」の取り合わせは数多とありますが……ここまでストレートに書かれてしまうとなんだかぐっときますね。
「ある」より「あり」にしてさらに言いきりを強くするってのも良さそうですが
点数: 1
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回答者 なお
黒徹さん、こんにちは。
御句拝読しました。曖昧な点を残して読者の想像に任せるのが俳句の良さだとすれば、ここまで言い切られると、どうなのですかね。
「その通り!よくぞ言った!」と思われるか。「そうかなぁ、私はそうとも言えないと思うけどなぁ」という意見も少なくないと思いますよ。
この句は、着物が似合う女性をして「着物を着るために生まれてきた(生きている)」というようなもので、果たして褒め言葉になっているのか、相手の個性を限定してしまっているのか微妙ですよね。
私は、出来るだけ、「そうかなぁ、私はそうは思わない」という
反応を少なくするにはどうしたらいいかを考えてみました。
・紫陽花は雨に打たれてこその花
・紫陽花は雨の季節に生まれけり
・紫陽花は雨に打たれる運命(さだめ)なり
・紫陽花は雨に打たれてより映えて
紫陽花は雨が似合うのは間違いないと思います。それをどう伝えるかですね。
点数: 1
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ストレートに詠みました。
とうでしょうか?