後悔も新米も噛みしめうまし
回答者 佐々木健一
悔しさを噛みしめながら食事をしているとき、新米のおいしさに、明日の糧にしようと悔しさが、なんというか浄化される。
おいしい食事、新米に気持ちが癒される。
新米を新人の言い替えの意も隠されているとのこと。よく噛んで新人の味を引き出してあげたいといった感じでしょうか。
悔しさが「噛む」ということで前向きな気持ちになる、この動作による変化が素敵な一句だと思いました。
作句意図なしで読んだとき「失敗」を糧にするために噛む、「失敗」から得られた経験は新米のようにとてもありがたいものという句だと思いました。
あえて575ではなく557の変奏曲?で直してみました。
「俳句には生憎(あいにく)はない」
俳人は雨が降ったら降ったで風情をよろこび、風がふいたらよろこぶ。
俳句にすると、人生はどんなことも「生憎」はない。
仕事のイライラもまた俳句にすれば、こんなに前向きに。
俳句ってすごい素敵なものだと感じさせていただきました。
点数: 3
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会社では新米と言われる新入社員が、仕事の失敗を家でご飯を食べながら反省し、次への決意をうたってみました。