「汝は青く固く酸つぱき李かな」の批評
回答者 北野きのこ
おせっかいさんこんにちは。
私の赤潮の句にコメントをいただき、ありがとうございました。
個人的には「赤潮の海という自然現象を嘆く気持ち」が伝わる事が最重要だと考えていました。
また「主観を排し、光景の描写に重きを置くこと」との指摘を受ける事が多かったので、おせっかいさんの添削は私にとってかなり斬新でした。
私自身もあの句に関しては「もっと主観を排除しなければ」と考えているのですが、違う視点からのご指摘をいただけた事は大変嬉しいです。
今後もどうぞよろしくお願い致します。
さて、掲句の感想を述べさせていただきます。
李を修飾する語がそれぞれ視覚、触覚、味覚に訴える内容である点は、李を多角的に描写をする為に工夫をされたポイントなのではと考えました。
しかし、他の方のコメントにもあります様に「未熟な李」を提示してしまえば、省略可能な描写も含まれていると思います。
また「汝」という代名詞と、「汝は◯◯な李みたいだ」という比喩だけで句が構成されているため、明確なイメージを想像しづらく感じます。
「汝」といういかにも厳しい言葉から「李」へ続く意外性で想像が広がる部分はありますが、やはり「汝」の正体が漠然としていると私は思います。
また比喩として使用した事で「李」が光景の具体化に寄与しづらくなっているのではないでしょうか。
李は比喩ではなく実際に存在しており、作者が李を「汝」と擬人化して語りかけている、という可能性も考えてみましたが、謎が深まるばかりでした…
私も無季俳句や自由律俳句を否定する立場ではありませんが、定型から外れる際には定型から外れる事で生じるデメリットを何らかの形で補完する必要があると考えています。
今回の句に関しては季語として主役を張る器であった「李」の力が削がれているのに、十分なフォローが無い様に感じるのです。
この句がどの様な情景を詠んだ物なのか、想像する事が私には困難なので、添削も困難でした。
好き放題言うだけ言っておいて、大変恐縮です。
点数: 1
添削のお礼として、北野きのこさんの俳句の感想を書いてください >>
誰にもこんな時期があるものです。
新参者に先ずはビンタを喰らわすのは、どこも変わりませんね。
私はこの会では「批評・添削」を主に、自分の俳句修行としてやるつもりです。
どんな場所にも「守旧派・保守派」と「進歩派・改革派」とがいます。
私は後者、季語なしを初め、前者が「俳句の常識」とこだわっている様々なことも
私はほとんど許容します。 ただ、守るべきことはしっかり持っているつもり。
そのあたりは追々「批評」の中で、述べてゆきたいと考えています。
ここはあくまで「俳句添削」の場、「人間添削」の場ではないはずです。
念のため・・・