「獺祭やレジのソーシャルディスタンス」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
ご無沙汰しています、カイさん。
御句。獺魚を祭る。七十二候の一つで時候の季語ですよね。それでいて、獺が魚を並べる習性という光景の連想も少しあるという季語なので、難しいですよねー。
比喩的にとらえると季語が、、難しいなあと思いつつ、上五「や」で切って、完全なる取り合わせとするなら、これはありの句かなと思いました。
ただ、雨水のころの春になっていく気候と年中ソシャルのレジによる響きまでは感じ取るのが難しかったです。
点数: 2
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大胆な作りにチャレンジしました。5.3.9です。
春時期だと入学、進学、就職、転勤の準備やお祝い品の為にスーパーやデパートで買い物をし、レジの列の客がぎゅうぎゅう詰めになったりします。
しかし、昨今のコロナ禍でソーシャルディスタンスが生まれて、間隔を空けて並んですので、その間隔を空けてる感じが、季語[獺祭]または[獺の祭り]の様に見えたので句にしました。
あと、
[獺祭や客のソーシャルディスタンス]とも考えましたが、客という言葉だと説明的に感じましたのでコメントへの記載にしました。
釈迦に説法かもしれませんが、獺祭とは、カワウソが捕まえた魚を、川岸で御供物みたいに並べる様子の春の季語です。
もう一つですが、上五の季語で学問的または雅的に、中七下五の12音で日常的または今時の風俗的と、対極の映像を組み込んでみました。